亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

抒情

視線を絶やしたい。
もちろん視覚を奪うことで自己の内部へと感覚を鋭くさせる意図もある。
あえて私の視線を効かせる事もいい。 

ただ変態達の時に濡れたような、時に頭の回路千切れたような、何もかもを映し出すあなた達の瞳を遮断したくなる。

しかしあなた達は私の姿をしかと瞳に焼きつけておきたいことも知っている。
すべて、おおよそ私は知っている。

知った上での行為である。
終えたとき、ずっと見えなかったのが辛かったと言う。
そうでしょうね。
次は容易く視界を返して貰えるといいよね。


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以前にも書いた、ある事象。
二十歳の頃、私はある女友達と感覚を共有したと思える経験をした。
真夏のこと、青空と海、髪をなびかせる風。
波打ち際にすわり、腰のあたりまで波が寄せては引くたびに、えもいわれぬ心地よさを感じていた。

繰り返し繰り返し打ち寄せる波、まるで海とセックスしてるような感覚に陥ってきて、ふと隣を見ると友人はにこっと微笑んでいた。
同じなんだとわかった。心というか脳が。直感で。
海との一体感と、友人と感覚を共有できたこと、その二つがとてつもなく気持ちよくて、紛れもなくあれは性行為だった。

私が今でも自然を体感したい理由の一つなのかもしれない。
景色を見るだけではなく、風や木々の葉の濃紺や雲の流れ、すべてを体で感じようとする、それが合致する人とは精神性が通いやすい。
性行為に及ばずとも、秘めたることを共有した感覚を得られる。

そしてまた、やはりSMも感覚を共有するものであると思う。
支配する側と支配される側で、例えば痛みを与える、痛みを受けるとするならば、それは痛みを共有していて、その感覚に気づけるのであれば、それは私にとって、とてつもなく悦に入ることと覚えていてほしい。

例えば緊縛をするとして、縛る私と、縛られるあなた達とすれば、私の気配を全身で感じようとするはず。呼吸ひとつ、髪の毛が肌に触れる感覚などあまさず。
これも性行為と呼ぶに似つかわしい感覚の共有、または交感。

与える側と受ける側、凹凸のような心の感じ、それが成立すればぞわぞわ背筋にくる。

わかるでしょう?


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縛られると、縄で抱かれているみたいと言う人達がいる。
また縛られているのに解放感を裡に抱くと言う人もいる。
 
呼吸する音、吐く息、呼吸のまあい、背後にある気配、髪の触れる感覚、肌と肌が擦れる感覚、温感、それら全てを感じ入られるほど縛られる事に没入させたい。
私は縛っていたい。
人を。他者を。私に取り込むように。

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"動けない状態にする"という、拘束する意味だけではない縄を使った私とあなたのやり取りを、私は愛する。
身も心もゆだねきった人々の肉体を覆う肌は、外側の緊張を絆していくと、よほど柔らかい。






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お盆が明けた。
今年のお盆期間は、私を求めて会いに来るマゾ達のおかげで忙しく過ごせた事に愛と感謝を抱いている。
私ひとりでいたって女王様ではおられぬから。

大切にしたいし大切にしてほしい。
それでいて、然程大したことでもないと思っていてほしい。
日常に溶け込むように私が存在しているとするのなら、容易な存在として胸に留めていてほしい。

いつか終わってしまう事があったとしても、心残りなきよう思いは伝えるべきであり、後悔したとしても私たちはともに存在していたと抱き締めるべきである。
思い出を。


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母が亡くなって十年。
初めて母の死んだ山に登った。
空は高く澄むように青く、風が冷たいほどに快かった。
鳶が風に舞う姿を見てもそこに母を見ることはなかった。
尾根づたいに歩く不思議さ、山の天辺にいる私、山の麓で最後を迎えたらしい母。

お盆に帰ってくるという死者の魂に触れられるなら、そう思って去年亡くなったみー様の事も祈った。願った。
誰にも会えなかった。

それを救われなかったと誰が言う?




九月も会いましょう。





暑い日が続く。
汗をかいた皮膚でさえ、愛おしいと思える感覚を知っているか。


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日常に溶け込んだようなSMが好き。
私のためにその時間、あなたたちが選択したその時間のあいだ、私のために存在していてほしい。

私がなにもしない事を選んだとき、ただそれを受容できる子は、なんとなくお互いの行き交う呼吸や混じりあう空気感でわかる。
肌が触れそうなとき、触れるまでのあいだ、触れたあと。
そのすべてを体感できる感覚を共有できる。

非常に微細なことで、それがすべてではない。
とは言え言葉を要せずとも柔らかな空間を二人で構築できる心地よさ、それが下地にあるうえでの支配関係というのは妙なるものであると思っている。

助長過ぎる言葉や華美過ぎる言葉も好きではない。
それは私が言葉を愛するがゆえである。
そこに彼らの真髄がある、と伝わる言葉は存在する。
また言葉など一切なくとも胸に到達する情感というものがしかとある。

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□傀儡堂出勤について□

八月

13日(火)16日(金)
19日(月)20日(火)
28日(水)30日(金)


秋への移り変わりを季節ははじめている。
あなたたちはどうするの?




とある人物に出会った。
共感覚を持つ方。
ある感覚に対して、もう一つの感覚を伴う人達がいる。
そういう人達が存在するのは知っていたけれど、実際に出会うのは初めてだった。
その方は、痛みに色が見えると言った。

そして、まず私のオーラというか雰囲気が青色だと話してくれた。
青は私のとても好きな色、なぜなら水は青いから。
きのうもきょうも青いみず。
雲は消えずに映るけど、
一つ、二つ、と水の輪は、
一つあとから消えていく。

私の痛みの色を知りたいと話すと、躊躇しながら、痛みを受けてくれた。
そうして私の痛みを灰色だとその人物は見た。
私の痛みを受けると、灰色が視界の端っこの方で捉えられる、と。

美しいと思った。
また灰色は私の青色と同等に好きな色であることも嬉しかったし、共感覚として感じるものが私を貫いているようで、自分が半透明になったような心持ちでいて、とても胸が透いていた。

好奇心で色々たずねたことや痛みまでも受けてくれたこと、また件のこの話をブログに記してもいいと話してくれたあの方へ敬意と感謝を。



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水無瀬亜きら、東京にたまに行っています。
次は7/26,27
会いに来てください。






ズタボロになってほしい。
ずっと正座してるだけ、ずっと袋被せてるだけ、縛って放ったらかしにしてるだけ、それだけでもなんでもいい。

私へ身も心も捧げるんだという思いの丈を、心の内奥を、さらけ出させたいだけ。

なんでここへ、私にわざわざ会いに来たのか?
調教お願いします、の台詞が死ぬほどどうでもいい。
その言葉の意味の深さだけ頭を地に擦り付け、体現し、涎や汗や情けない声を迸らせろよと水無瀬亜きらは思っています。

発出、露見、発露、その扉は私が抉じ開けてあけるじゃない。
何が必要か?ゆだねること。身も心も。身を投じる面持ちの君たちを、愛せます。


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水無瀬亜きらは人の多いところ、五月蝿いところ、暑いところが苦手である。

それらの排除された自然を体感することが、何より愛しい。というより、自然である。生き物として。

雨の降る鴨川を走っていて、ふと足をゆるめ歩いた。
水嵩の増えた川の流れる水の音、虫や蛙の鳴き声、風に揺れた木々のざわめき。
雨に濡れた肌、そうして自然と渾然一体となれそうな、あの感覚が愛しい。
まるで地球と繋がれた気になる。早く自然と一体化したい。

とは言え一体化するとするならば、この体なのか。体なんぞは所詮容れ物で、そこに宿る精神が私本体なのだとするならば、精神を構築する思考、意思、感情、欲求を司るのは脳であるから、自然と一体化するのは脳そのもののはずである。
脳内に自然が溶け込むような、自然に思考が溶けていくような。

そんなことを考えていた。
その考えが横道にそれて、今日見つけたミノガの毛虫、つまり蓑虫を思い出していた。
少し前の一時期、私は見つけた青虫や毛虫を写真に撮してはSNSにあげていた。
彼らのフォルムや愛嬌あるくねくねした歩みと、ともすれば車道にのそのそ現れる姿に生そのものを感じることが好きだった。
私のSNSを見ていた一人の彼女は、似たような青虫や毛虫を見つけると私に写真を添えてメッセージしてくれていた。

「好きそうなのいたよ」

彼女が私と似たような、日常で青虫や毛虫を見つける視線を持っていたことが愛しかった。
例え青虫を目に留めても別段注視することなく通り過ぎる人が多勢のなかで、例えもし彼女がその多勢の人間だったにせよ、私のSNSを見ることによって青虫に気を留めるようになったのであれば、それはなおさら彼女を愛しくさせた。

蓑虫を見つけたとき、私は心から嬉しかった。自然を侵すコンクリートのなかで見つけたこと、彼女にまつわる物語を思い出したこと。

意味や意義や理由なんてものは、後からどうとでも繕える。
そのために言葉を弄するなんていとも容易い。
脳から発せられるのは理由ではなく、欲求そのものであり、己の欲を嘘偽りなく掴むことができ、またそれを逃さぬようぼやけさせぬよう生きていたい。

あなたはどうしたい?
なぜ?
私は支配していたい。
なぜかは、今はどうでもいい。


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私がAIに描いてもらったもの。




体調を崩してしまった。
春の嫌気差す情緒が終わりを迎え、新緑みずみずしい季節がやってきたはずなのに、私の心は燻っていたどころか喉をやられてしまった。

倦怠感に抱かれながらベッドで写真を見返していて気づいた些末なこと。

縛ったマゾと記念撮影するのが好きらしい。
微笑ましい記録であるとともに、私の支配欲がとてもよく表れているなと我ながら感心した。

主役は私でもなくあなた達でもなく、写真に見える関係性そのものなのである。

以上。
体調にはくれぐれも気をつけたまへ。
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私の愛するものは、水と果物とチョコレート、鍋にキティ、そして私に某かを捧げようとする者達。
越えられない壁を隔てた先に猫。





私に会いにくるのでしょう。
私のために遠い道のりをやってくることもあるのでしょう。
苦痛や身体と時を制限されるために。

目的が私との時間のためであるならば、出会ったその一秒でもはや完遂してると言える。
それくらいの思いでやってくるあなた達を私は知っている。
だからこそ床に這いつくばった姿が見たい。

なんなら縛ったままに永久に宙に浮いているでもいい。 
何も身体に不具合が起きなければ。

どれだけの思いでいるのか、身体で知らしめてほしい。
私にどれだけ胸中さえも支配されているのか教えてほしい。

以上


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