私に何ができてたら、あの人達は離れずにいたのか、死なずにいたのか、そういうことを考えてしまうのが私の春なのである。
もう毎年毎年、春の気配が鼻に肌に触れるたび、気が滅入る。
身体の内でエネルギーが下に下に下降していくこを感じる。
どうしようもない、ただの生理反応のようなもので、ただただ、そんな己が鬱陶しい。
通常ならば起こってしまった事実は受容する姿勢でいるのに、春はすべてが自分の無力さに寄るものではないかと虚無感に被われる。
剥がそうと思えば楽に剥がせるぺらぺらのビニールみたいなもので、憂鬱も虚無も、全くもって実態をもたない。
もたないからこそ私にまとわりつく感覚が不快で、私は落ち込む。
何かに向けてそのネガティブエネルギーをぶつけたくて、人間に触れたり縛ったり殴ったりする。
私という身体を捨て去ればすべて一掃できるような気にもなる。
あえて阿呆のように振る舞ってみせる。
すぐに涙を流すよう心のねじを弛める。
この下らない、なんの意味もない、私の心のありよう、これを春の病と言わずなんと言おう。