以前にも書いた、ある事象。
二十歳の頃、私はある女友達と感覚を共有したと思える経験をした。
真夏のこと、青空と海、髪をなびかせる風。
波打ち際にすわり、腰のあたりまで波が寄せては引くたびに、えもいわれぬ心地よさを感じていた。
繰り返し繰り返し打ち寄せる波、まるで海とセックスしてるような感覚に陥ってきて、ふと隣を見ると友人はにこっと微笑んでいた。
同じなんだとわかった。心というか脳が。直感で。
海との一体感と、友人と感覚を共有できたこと、その二つがとてつもなく気持ちよくて、紛れもなくあれは性行為だった。
私が今でも自然を体感したい理由の一つなのかもしれない。
景色を見るだけではなく、風や木々の葉の濃紺や雲の流れ、すべてを体で感じようとする、それが合致する人とは精神性が通いやすい。
性行為に及ばずとも、秘めたることを共有した感覚を得られる。
そしてまた、やはりSMも感覚を共有するものであると思う。
支配する側と支配される側で、例えば痛みを与える、痛みを受けるとするならば、それは痛みを共有していて、その感覚に気づけるのであれば、それは私にとって、とてつもなく悦に入ることと覚えていてほしい。
例えば緊縛をするとして、縛る私と、縛られるあなた達とすれば、私の気配を全身で感じようとするはず。呼吸ひとつ、髪の毛が肌に触れる感覚などあまさず。
これも性行為と呼ぶに似つかわしい感覚の共有、または交感。
与える側と受ける側、凹凸のような心の感じ、それが成立すればぞわぞわ背筋にくる。
わかるでしょう?
二十歳の頃、私はある女友達と感覚を共有したと思える経験をした。
真夏のこと、青空と海、髪をなびかせる風。
波打ち際にすわり、腰のあたりまで波が寄せては引くたびに、えもいわれぬ心地よさを感じていた。
繰り返し繰り返し打ち寄せる波、まるで海とセックスしてるような感覚に陥ってきて、ふと隣を見ると友人はにこっと微笑んでいた。
同じなんだとわかった。心というか脳が。直感で。
海との一体感と、友人と感覚を共有できたこと、その二つがとてつもなく気持ちよくて、紛れもなくあれは性行為だった。
私が今でも自然を体感したい理由の一つなのかもしれない。
景色を見るだけではなく、風や木々の葉の濃紺や雲の流れ、すべてを体で感じようとする、それが合致する人とは精神性が通いやすい。
性行為に及ばずとも、秘めたることを共有した感覚を得られる。
そしてまた、やはりSMも感覚を共有するものであると思う。
支配する側と支配される側で、例えば痛みを与える、痛みを受けるとするならば、それは痛みを共有していて、その感覚に気づけるのであれば、それは私にとって、とてつもなく悦に入ることと覚えていてほしい。
例えば緊縛をするとして、縛る私と、縛られるあなた達とすれば、私の気配を全身で感じようとするはず。呼吸ひとつ、髪の毛が肌に触れる感覚などあまさず。
これも性行為と呼ぶに似つかわしい感覚の共有、または交感。
与える側と受ける側、凹凸のような心の感じ、それが成立すればぞわぞわ背筋にくる。
わかるでしょう?