亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

2024年03月

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彼は、私のブログをすべて英訳して読んでいた。
私をポエマーと呼んだ。
間違ってはいない。
私は小学生から何より詩を愛しているから。

彼の縛られ目隠しした時に発した"Love me"が、妙に愛おしさを誘った。
身動きできぬ抑制された状況において、抑制されぬ感情の発露。
なんとも性的倒錯を感じて私は満たされた。 

ありがとうお前。
また会いましょう。

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私に何ができてたら、あの人達は離れずにいたのか、死なずにいたのか、そういうことを考えてしまうのが私の春なのである。

もう毎年毎年、春の気配が鼻に肌に触れるたび、気が滅入る。
身体の内でエネルギーが下に下に下降していくこを感じる。
どうしようもない、ただの生理反応のようなもので、ただただ、そんな己が鬱陶しい。

通常ならば起こってしまった事実は受容する姿勢でいるのに、春はすべてが自分の無力さに寄るものではないかと虚無感に被われる。

剥がそうと思えば楽に剥がせるぺらぺらのビニールみたいなもので、憂鬱も虚無も、全くもって実態をもたない。
もたないからこそ私にまとわりつく感覚が不快で、私は落ち込む。
何かに向けてそのネガティブエネルギーをぶつけたくて、人間に触れたり縛ったり殴ったりする。

私という身体を捨て去ればすべて一掃できるような気にもなる。
あえて阿呆のように振る舞ってみせる。
すぐに涙を流すよう心のねじを弛める。

この下らない、なんの意味もない、私の心のありよう、これを春の病と言わずなんと言おう。


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私に救われたいなら、手を差し出すのみ。
私はだれかを救うことですくわれる。




"痛みは苦手です"
皆口にする。そらそうであろう。
時に痛みそのものを快楽とする人間もいるけれど、稀である。

そしてそのような人間に痛みを痛みとして与えることが成立しないのであれば、私にとっての痛みを与えることでの調教が意味を成さなくなってしまう。
(痛いけれど、その痛みが心地よい、などは許容範囲であるけれど。)

痛みを与える、相手は逃げようとしたり耐えようとする、私のために、恐怖を抱きながら。
痛みを超過すると服従心に満たされて、なお私への思いが強くなる。

そのような経過を辿るようなマゾ諸氏が多いように思う。
ズタボロになっていく姿や私にひれ伏す姿、祈り続ける姿、とにもかくにも私を渇望せよ。

心許せよ、解けよ。剥がせよ。
さすれば私のものとなる。

たぶんね。

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呼吸の苦しくなる様、喘ぐ姿、必死な目。




例えば。
ある日あなたは私に会うためにやってきた。ここまで。
私に会いにやってきた、とすると、私と会ったその瞬間、顔を見合せ目と目を交わしたそのときに、実は完結しているにも等しい。
私にしても、びりびりと胸と肌が喜びを覚えるのである。

私を求めることが目的であるとするならば。
その熱い思いを伝えるには行為で示すしかなく、ではあなたに何ができるのか、と問うまでもなく身を捧げるしかできない。
あなたは。
あなた達は。

ゆえにSM行為へ発展する。
私のために、私の支配欲を満たすために。

猫にもなれないのだから、せめて身と心を捧げよ。

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□傀儡堂三月シフトだしてます□

前もって予約頂けると、水無瀬亜きらは嬉しい。



もうすぐ春がくるから。

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