亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

2023年07月

彼は言った。
亜きら様への愛と忠誠を誓う、と。

そもそもの彼の第一歩はバルバラへやってきた事だった。 
私のDVDを見てブログを読み、私に会いに勇気を出してバルバラへやってきた。
 
それが不思議なもので彼が店内に座り、キャストの女の子と話している姿を見ただけで分かる。
あいつは私に用があるんだなとわかる。
チラチラ私を見ているわけでもないのに、滲み出るオーラが物語っている。

そうして調教を二度経て、今彼は歓喜に満ちていることだろうし、この先も幸福の極致へと辿り着けるであろう。
私を信望し続けることによって。


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音楽を聴いていた。
"消えそうな綿雲の意味を考える"
その歌詞に脳が反応して、私も考えた。

そして金子みすゞの詩の一文を思い起こした。
"ひとつふたつと水の輪は ひとつあとから消えていく"

どちらも無常である。すぐに生まれては消える存在、掴めない存在、儚さ、そこと私との違いはなんなのか?
どこまでもこの世の中は無常であり、意味のないものなんてないという生ぬるい言葉を私は愛せない。
否もしかしたら意味はあるのかもしれない。ただ正しいものなど存在しないだけ。

縄張り争いで殺しあうライオンは、兄弟の子どもまでも殺す。
それを悪と呼ぶのか。残酷ではあるけれど悪の線引きは人間の抱えるちっぽけな倫理観でしかない。
飢餓に追い込まれると共喰いする哺乳類はままいるし、人間の知能が高くなったがゆえの生きづらさがたまに鬱陶しい。

とは言え私も人間である。人間の社会で人間として営んでいかなければ排除される。
きっと人間以上に強い生き物が存在すれば、また違ったのだろう。
果たしてそれがウィルスだったのであり、コロナだったと言える。
見えない得体の知れないものに対する人間の恐怖による脆さ弱さ、それを目の当たりにしたとき、私はこの情感と状態を絶対に忘れないと胸に誓った。

世界がコロナウィルスの脅威から脱しつつある今、なお思う。
そして所詮死ぬ身である生において、正しいものを追うのではなく"己がどうしたいか"、まずそれを軸に置いておきたい。

SMにしたって、あなた達マゾにしたってそれに尽きる。
どうしたいのか?愛するあなたの女王様のために仕えたい、身を捧げたいと思うのならばそれを一貫できるよう自分に何ができるか考えればいい。

私はやはり誰かを支配し続ける身でいたい。
それだけは譲れぬものである。
コロナ禍の時ほど思ったことはない。

上記は私個人の思いであり、誰かに強要するべきではない。
ただ私に共鳴する者があるならば、ついて来ればよい。

おわり。




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写真はmanimaniumちゃん。








文通をはじめたきっかけはコロナ禍だったように思う。
言葉を愛している。日本語を愛している。
何より、心に浮遊する或いは沈殿する己の思いを、言葉で表現するという行為を愛している。
端的に言えば言語化である。

心乱すマゾに、自分の思いをノートにまとめておきなさいと命じたことはあった。
しかし調教後の思いを感想文かのように言語化して手紙またはメッセージとして送るよう命じたのは、やはりコロナ禍がきっかけだった。
それから数年言葉を受けとるようになって思うのは、やはり言葉それの強さ重みである。
柔らかな重み、そしてそれは時に鋭い軽さにもなる。
しかしこの事については今は割愛する。

自分の言葉で記すことによって、改めて気づく事や思い至ることが幾つもあるはずで、また受けとる側の私も相手の言葉を飲み込むことがひとつの快感となる。  

閉鎖的な空間において、私はあなた達の皮膚に触れ、お互い細胞や神経を震わせながら、相対するのである。
これは身体でのやりとりと言えるであろう。
しかし我々女王様という立場とてエスパーではない。人間である。
身体で感じたそれらを、言葉になぞらえることの美しさでもって知らせて欲しい。

耽美な文章や美しい表現を狙ったものでなく、個々の感性で書かれたあなただけの言葉が胸にくる。覚えておくように。

言葉を愛する私へ言葉を送るあなたたちへ、
あなたたちを愛しく思う(時もある)。



以下にひとつのマゾ文よりばっ粋を。

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文通をはじめたきっかけはコロナ禍だったように思う。
言葉を愛している。日本語を愛している。
何より、心に浮遊する或いは沈殿する己の思いを、言葉で表現するという行為を愛している。
端的に言えば言語化である。

心乱すマゾに、自分の思いをノートにまとめておきなさいと命じたことはあった。
しかし調教後の思いを感想文かのように言語化して手紙またはメッセージとして送るよう命じたのは、やはりコロナ禍がきっかけだった。
それから数年言葉を受けとるようになって思うのは、やはり言葉それの強さ重みである。
柔らかな重み、そしてそれは時に鋭い軽さにもなる。
しかしこの事については今は割愛する。

自分の言葉で記すことによって、改めて気づく事や思い至ることが幾つもあるはずで、また受けとる側の私も相手の言葉を飲み込むことがひとつの快感となる。  

閉鎖的な空間において、私はあなた達の皮膚に触れ、お互い細胞や神経を震わせながら、相対するのである。
これは身体でのやりとりと言えるであろう。
しかし我々女王様という立場とてエスパーではない。人間である。
身体で感じたそれらを、言葉になぞらえることの美しさでもって知らせて欲しい。

耽美な文章や美しい表現を狙ったものでなく、個々の感性で書かれたあなただけの言葉が胸にくる。覚えておくように。

言葉を愛する私へ言葉を送るあなたたちへ、
あなたたちを愛しく思う(時もある)。



以下にひとつのマゾ文よりばっ粋を。

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酸素がなくなってく様を眺めていたいから、ビニール袋を偏愛している。
大きな声で言えないけどほんとうは猫のような愛らしい生き物を袋にいれて、同じことをしたい。

私の倫理観がそれをさせないから、仕方なく人間がで代替しているふしもある。
猫の場合は愛らしいからしたい、だけど人間に置き換えれば、それをするから愛らしいに変換される。

わかりますか?
私の為に何ができるのあなた達は?



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金曜日と土曜日は基本的に傀儡堂受け付けています。
その他も問い合わせください。




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