亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

2022年12月

大晦日に一年の締めくくりとして。

哀れなる君たちへ。
私に手を差しのべられていたいでしょう。
私に救われたいでしょう。
私に存在肯定されてたいと願うでしょう。

大丈夫。
私もそうやって求められることで水無瀬亜きらとして存在できるから。
私の足元でぐしゃぐしゃになってく様を眺めてたいだけ。

哀れな姿って心にときめくから。   
それだけ。 
ついてこれるかは心しだい。   


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この写真に隠されたメタファー、男子小便器を踏むことで何を表現しているか。
お前たちなら分かるよね?

ではまた2023年にお会いしましょう。



水無瀬亜きら。


自分の為の満足、自分だけしか知らない密やかな美しさ、その魅力に取り憑かれたのは18歳の頃。
バカの一つ覚えで通っていたアパレルブランドからランジェリーラインの出た事がきっかけ。
レース、サテン、シルク、どれも繊細で情熱的で慎ましやかに色香を漂わせる。
ファッションと違って、ひと様に見せることのない下着の楽しみ方を見つけた私は自分がそれらを身につける事に快感を覚えた。

今はコスチュームとして愛するランジェリーを披露する場面があるが、決して誰かの為ではない。
AubadeもChantal ThomassもMaison Closeもすべて私のため。
着用することで身の内側で愛を抱けるから。


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▲眺めてるだけで心に満ちる幸福感。




▼Aubade

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▼Maison Close
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▼La Perla
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▼Lise Charmel
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透けるようなレースは、雑に触れたらすぐに壊れてしまう。
私を高貴であり艶やかであり美しくしてくれるもの。


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ストッキングのレースももちろん愛してる。







愛とは繊細であれ。






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生まれたときからはじまっていた。
母親がキティラーだったから。
(キティ誕生は1975年-昭和50年)

いつかにも書いた事があるけれど、アトピーがひどかった幼少時、搔くのを防ぐため両肘にキティ柄の包帯をぐるぐる巻きに巻かれて幼稚園に通っていた。


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▲今は発売されていないようで、ネットから拝借した画像だけど、まさにこれ。

人と違うことを何より厭うていた私にとってそれは、まさに人と違うことの証明のようで心底嫌だった。
幼稚園の頃には自覚していた、私は皆とは違うってこと。実際幼稚園においてすでに仲間外れにされていた女だし、何かが決定的に違っていたのだと思う。

それはさておき、気づけば私の周囲にはキティがいた。
強制的に好きにさせられていた感も否めない。お箸、コップ、トートバッグ、お弁当箱、ランドセルカバー、ありとあらゆる物がキティだった。
小学三年生頃にはサンリオの中でもポチャッコやパタパタぺピーが台頭していたのでそちらに惹かれた事もあるし、高校生になるとディズニーのピグレットやスティッチに心奪われたこともある。
不思議なことに今現在はそのどれらも好きではない。

回り回ってキティに落ち着いたのは18歳頃だと思う。
理由はない。部屋にキティグッズがたくさんあると目が五月蝿いし、ぬいぐるみもアホみたいに持たなくなった。
しかしそれでも可愛いと思わせられるキティ。
口がないことが自分の感情と同調してくれるだなんだと言うが、赤いリボンと白くまるいフォルムのシンプルさが物を言っているのは間違いないだろう。
リボンなんて大好きでしかない。

さらに7年前サンリオに登場したこぎみゅんなる小麦粉の妖精キャラに私はメロメロである。
年甲斐もなく心惹かれ、可愛さに胸がハートでいっぱいになる。

そこにサンリオの凄さがある。年甲斐も時代も世代も越えるのである。
サンリオと言えばイチゴ新聞、可愛さの象徴としてのイチゴらしいが、その理由に苺の漢字には母の字が入っており愛情の源と呼べる母性をも兼ねているといったことをサンリオを設立した社長が述べていた。
(私の解釈違いあるかも)
 
とにかくサンリオの可愛いには確固たる理論と信念がある。
前社長の戦争体験を軸に、可愛いによる世界平和を願っているのである。
可愛いには不穏さがない。可愛いには愛があり愛には平穏と安寧がある。
この薄汚れた人間社会にあって、可愛いは心の救いとなる(ことがある)。

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上記の写真は淡路島に存在するハローキティの基地である。総本山とも呼べるかも知れない。
キティのおわしますところ、愛と救いあり。
ここに行った私の表情の可愛さ。
可愛いさは愛を伝染させるのであろう。知らんけど。

以上サンリオ(教)キティ(宗派)へ愛を込めて。
殴り書き。










いつかにもブログに書いた記憶があるけれど、冬になってたまへの感度が上がっている時期なので再度愛を連ねる。
※ほんとうにたまへの愛を語るだけの日記です

今は一人脱退しているだとかどういった経緯なのだとかについて言及はしない。
YouTubeにアップされている方向音痴のとある動画のあまりの素晴らしさに、私の心はいかんともせんのだ。

以下がその動画である。
https://youtu.be/CdISObzHPxY

とりあえず見て聞いて感じてほしい。

たまのランニングと言われるパーカッションの石川さんの奇っ怪な動き、しかし石川さんはこの動きをしかするはずがないと思わせられる意思の力強さ。
知久さんの楽しそうな表情を筆頭に、皆がとてもとてもいい表情をしている。
瞳が輝いてる、四人が四人とも端的に言って瞳が眩しい。
陶酔、ひたむき、没入感に心をガッと掴まれるしかない。それも物凄い力と速度で。

あぁもう愛しい。
音を演奏を空間をこよなく愛し楽しんでいる四人の調和。
要所要所で繰り出される言葉のハモりが、「富士」「しれ」「身を投げ」と刺さってくる。私に。私の心の奥に。刺さるよ。いや撃ち抜かれているかもしれない。

何この多幸感?と心の縒りが震えだす。
そして2:50秒頃からの突き上がっていく情熱、いっそう激しくなる石川さんの奇態、滝本氏のベースの響き、やなさんの優しく閉じられた目!知久さんの踊るような声!
半端ないパッションに胸が燃え滾っていく。

ハモりが美しいバンドなので、終盤の四人のハーモニーこそ本番、いかにも美しくまるで福音かに神々しく感じられる(これはまさにビートルズも同じ、和製ビートルズと呼ばれる所以かも、四人が四人作曲して歌える)し、私はほんとうにほんとうに愛してるのだけど。

だけども特にこの動画の3:20~のハーモニーは、もう無理。心が無理。
感動と衝動で脳みそにキンキンくるし心臓から身震いするし、二の腕がそわそわする。

終わらないで欲しいと心の底から願う。
終わることを悲しいと思う。
ちなみに終わらないで欲しいと思える時間ほど、大切にするべきだし長引かせるものではないと私は声を大にして言いたい。
はや終わってしまう。
終わりが美しい。終えるからまたはじまる。何かが。すでにたまの方向音痴の動画を見終わったことによって、私の心で加速がはじまっている。

号泣した。嗚咽。
12月のカタルシス。

殴り書き。
書かずにいられなかった。

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私も衝撃で脳を震わせられる人間でいたい。






この絵を見て羨ましいと思うでしょう?

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私の二本の足ならいつでもここにあります。







寒い冬と言えば、クリスマス。
クリスマスの街の雰囲気って大好き。
クリスマスツリーとかクリスマスソングとか、ケーキやギフト、それだけで胸がときめく。

クリスマスが終えればすぐ年末で、いいシーズンだと思う。
年が変わったって何も変わらないと思うけど、確実に時は進んでるものね。


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▲この、複数の人間が私に手をのばしてるさま、とても私の意にそってて大好き。






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