亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

2022年04月


私はビニールに執着する。偏愛する。
それは幼少の頃のトラウマに起因する。
何度かブログに書いてきたので、知ってる人もいるでしょう。

BeautyPlus_20220415085650969_save
BeautyPlus_20220415090147614_save
BeautyPlus_20220415085838610_save

ビニールを被せて酸素を徐々に奪うだけで、放っておけば人間は死ぬ。
その危険を身をもって知らされたのが幼少の頃。

自分よりか弱い存在にビニールを被せ、無知がゆえに苦しさに喘ぐ姿に喜んだ。
赤子がイヤイヤ、と頭を振る姿に言い様のない感情を抱いた。
それを共有したくて誰かに「見て」、と言ったのかも知れない。
その場面に遭遇したか弱き存在の庇護者によって、私は非難される。強く。後々になってまでも人間性を否定され続ける。

非難されたことによって、今のビニール偏愛が強くなったのは言うまでもない。
犯していけないものを行う背徳感、限界までの一途をじわじわ楽しむこと、
皆好きでしょう。

BeautyPlus_20220415085712210_save
BeautyPlus_20220415090010375_save
BeautyPlus_20220415090124522_save


今日で隔離期間も終わりとなる。
十日間を社会から隔てた生活は、健康を害してたことも相俟ってなかなか自己の精神と対話することになった。
それでも気を病むことなくいられたのは、水無瀬亜きらに皆からの心が届けられていたから。
改めて感謝を。
ありがとう。




Picsart_22-04-14_10-30-54-115

2019年5月。
三船敏郎を愛するイギリスの方に撮ってもらったもの。

美なる者として丁重に扱ってくれる、あの心地よさはとても好き。
私を撮る行為によって私を消費することもなかった。
私をできるだけ自然体のまま、時間を切り取ったような写真を撮りたがった。
普段女王様らしいものをぶってしまいがちの私のポーズはすべて却下された。
そこが面白かった。
これらの写真をエロチックだと捉えるのは容易いけれど、より私が美しく見えることを求めた結果、こうなっただけ。かもしれない。
時には思考を一歩先まで進めようね。

実質はどうあれ建前を美しく述べてくれることを、私は厭わない。
そこに確信的な意志が汲み取れるのであれば。

ちゃんとイギリスに帰れたのだろうか。
日本は京都での記録として、彼のデータフォルダの片隅に残ってあればいい。

20190524_001837


隔離解除まであと一日。






Picsart_22-04-12_13-04-53-832

2020年10月。
撮影 ヤン・ベッカー氏。

愛しい愛しい蚕ちゃんとの撮影。
もっとたくさん私の身体に触れていてほしかったな、と思う。
無数の命を前にして私は、生の環を感じずにいられなかった。
卵から孵り、芋虫である幼体から蛹である繭を経て、成虫へと変態する。
一度さなぎのなかでどろどろに溶けるというけれど、その際幼体の頃の記憶もどろどろに溶けてしまうのだろうか、と疑問を抱いたことも今じゃ懐かしい。
(蛹の内側では酵素液によって身体も脳もすべて消化して溶かし、たんぱく質がどうちゃらしてDNA源基が付け加えられるとかなんとか。それで足や羽が生える。
脳まで溶かされDNAまでいじられちゃ記憶もなくなるのだろう。)

成虫である蛾となった蚕ちゃんたちは、無事に皆星となった。あっけなかった。
繭玉をとることもせず、卵を孵すこともしなかった。
三世代目となる卵たちが異常なく育つと思えなかったから。
私の飼育した子たちのうちでも、羽化した姿が奇形を呈していた子は少なくなかった。

しかし過ごしたほんの3ヶ月は、ふわふわ繭に包まれたように柔らかく思い出される。
愛おしい蜜月だった。
桑の葉の人工餌が無くなる異様なスピード、生きよう成長しようとする生命力の速さを感じた。
幼虫を踏んで殺害してしまったり、蚕マンションから脱走したまま変なところで繭を拵えてたり、
苦労もあればこそだった。

胸が少し圧される、甘酸っぱい思い出をくれた子たち。
だいすき。

20201031_115332








喉の痛みと咳を残して、倦怠感はずいぶん楽になってきた。

皆からの優しさにありがとう。

あと4日。


Picsart_22-04-07_21-02-41-853


2021年2月。バルバラ25周年。
このことについて何も語らない。

記憶上に感情が混ざれば思い出となる。
空間と時間を共有して、思い出になる。

私としての存在。水無瀬亜きらであること。
人々が私を認識して初めて存在する水無瀬亜きらも、そこにはある。




頭痛の頻発がおさまった
寒気と悪寒もひいてきたようす。


そんな水無瀬亜きらがソファに寝っ転がりながらお送りする、
転がるマゾシリーズ。


20210530_210519
BeautyPlus_20220409114143636_save
20210528_153619
BeautyPlus_20211216153015395_save
20211214_221204

床に転がってる姿を見ると、安心するとともに愛おしさもじんわり胸底にひろがる。
私のために耐える姿、転がされても喜びを抱くその姿に。

私が欠損フェチだと知る人はいるだろうか。
特に義足の方が好きだった。
義足を外したその欠損した箇所を撫でること。
義足を外した一本足で、ぴょんぴょん飛びはねたり躄り歩くように踏ん張って歩く姿を、介助するでもなくただ見ているのが好きだった。

そのままならぬ動作に奇態な感情と衝動を覚えていた。
私の内側で骨に滲むような愛おしさ。

随分昔の話。

床に転がるマゾを見ると、それを思い出すのかも知れない。
いじらしさ。
ただなんともなく寝っ転がってる姿はもちろんお話にならない。
いついかなるときも、我々に敬意のない人間はマゾじゃない。
ただの人間。それも詰まらん人間。
しかし人間同士であればいずれ敬意は必要、ことSMに関して言えば最重要である。

敬意のない人間には興味が失せる。


Screenshot_20220412-091540_Photos





筋力低下を避けるため、少しでも腹筋運動をしようものなら物凄い勢いで頭に重力が迫ってくる。
私が圧される。
大人しくしているのが吉。
療養でなくて幽閉されているよう。

4/17解除まで猶予は長い。

Picsart_22-04-10_11-54-06-590

Picsart_22-04-08_08-49-52-587

2020年4月。
manimanium氏撮影。

大阪は日本橋のラブホテル。
彼女のTwitterを見ていればよくわかるように、ラブホテルでの撮影が多い彼女。
実は私もラブホテルを嫌いじゃない。
むしろラブなホテルという名のもとにラブな行為が行われているなんて、ファンタジックでとてもいい。
私はラブなホテルでSM行為をすることがあるが、それもラブな行為である。広義的に。

とまぁ、ラブホテルでの撮影だった。
女同士であると止められることはほぼない。
その日まにちゃんに言われた事、私の撮影開始から終了までがとても早いらしい。

それは、時間をかけずとも良きものを撮ってくれているだろう絶対的な目に見えない何かが私にはわかっているから。
不安がない。
私なんてものを時間かけて撮るものじゃない、という思いもある。

撮影とは不思議。
しかし写真は人間生活から切って離すことできない重要な役割を担っているはず。
スマホの中の写真もしかり。
記憶を思い出化するのにこれほど便利なものはない。
人々の記憶にも視覚効果として残りやすいもの、写真。

大切に撮って貰った大切な私達の写真は、大事にしてください。










まず、ウィッシュリストからお水を送ってくだすった皆様へ感謝を。
当分ミネラルウォーターに困らない。水無瀬亜きら歓喜。
名前のわからぬ方達もいるので、良ければ名乗りをあげてくださいまし。


Picsart_22-04-07_22-02-56-065

こちらの写真も02と同じく、2019年のもの。
水を愛する私は麦芽さんにお願いし、水に浸ることにしたのだった。 
静かで、青くて、とても気に入っている。

死ぬほど書いてるけど死ぬほど水を愛してるので何度でも言う。
私の水の好きな理由は明瞭。
どんな形にもなれるのに、触れると感触のないまさに掴めない存在だから。
水の音、水の揺れるさま、水の流れ落ちるさま、水に映る逆さまの景色、滝、川、海、池、洪水、美しくも恐ろしい水の景色は幾つも幾らでもある。
何ものも畏怖すべきものほど、美しい。そして圧倒される力がある。
身体のうち60%は水、地球の表面の70%が海。つまり水。
そして水は滞ると腐る。

恐ろしいね。 


33

これも同じ日に撮ったもの。
金子みすゞでいちばん好きな詩を載せて。

一つ、二つ、と水の輪は、一つあとから消えてゆく。

人の世にも重ねられるこの静寂の一文が、心に水の染み渡るようで大好き。







Picsart_22-04-08_08-53-55-720
2019年5月。
麦芽さん撮影によるもの。
三年前。コロナ以前。そんな考え方してしまうのがもはや世紀の出来事となった証。

咳が昨日より出るものの、頭痛は随分まし。
外の世界は暖かそうだなと思いながら、私は毛布にくるまりストーブにあたっている。
内部の変化、一抹の寂しさ、閉塞感。

先週ゴッホ展に行った。
今読んでいるオースターの自伝的書にゴッホの記述があり、CSでゴッホの伝記映画「ゴッホの見た未来」を見る。ウィレム・デフォー。
偶然の数珠繋ぎを私は愛する。
まるで何かの啓示かのように。






喉が痛む、咳がでる、頭がずっしりと重く脳内が霞む。
思考が停滞する。

本を集中して読めないので、過去の写真を幾つか編集して遊ぶことにした。
コロナ待機期間中アップしていこうと思う。


Picsart_22-04-07_21-16-17-685

これを撮影したのは2020年の5月。
ちょうどコロナが出だした頃で、撮影してくれた方が母国へ帰れないかもしれないと話していたのを覚えている。
あれからおよそ二年。
すぐに収まるものではないだろう、長く続くとは考えていたものの、ここまで悲惨な世相になるとは。
自分もいつかはコロナに罹患すると覚悟してたので、今の心境は落ち込んではいない。
とにかくすべてが停滞するのが嫌だなぁと何かに抗っていきたい思い。







春は憂鬱。
不安定な気温と霞んだ空気、肌と精神性までも白む。
毎年毎年、つらつら春を厭うことを書き連ねているゆえに、周知の事実なのでしょう。
マゾからの手紙にもそういったメッセージが。
「もうすぐ亜きら様の嫌いな春ですね。」
しかし私はこの一文にそうだね、と微笑んだ。

なぜでしょう?

20220317_203258



BeautyPlus_20210515092439112_save
line_3518937276000

これらは昨年の五月の写真。
新緑の季節は瑞々しくてすき。








はる

↑このページのトップヘ