亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

2020年12月



あまり気にしないけれど、一つの区切りとして。


2020年は新たにはじめるものが多かった。
初めて経験することや初めて触れるもの、新しく目覚める何かもあったかもしれない。


今のこの時代、禍と呼ばれるこの時じゃなきゃ有り得なかった事もあった。


必死に生きてるはずなのに足元からごぼごぼ溺れいく感覚、息苦しい、視界があやふや、曖昧な現実感、濁った空気が纏いつく。


不安と不安定に惑うた一年だった、それだからこそ繋がりに安心したり、自分の存在価値を確かめるように生まれた日のお祝いに感動したり。


私を愛する人達へ。
私を愛してくれてありがとう。
私の感情に波が立った時にはあなた達の身体と感覚と感情を犠牲に差し出してください。

次の一年はどうしようか。
冷静に落ちる前の一騒ぎのところを目指してたいな。




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@manimanium










気づけば年の瀬。
言葉が浮かばない。

空っぽなわけではなくて、浮かぶそれを掴めないという感じ。


何も変わらない。
はずなのに、どんどん時間に追い越されて、しがみつくのに必死だったりもする。


今の私はただの私。





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日は常に。









脳イキだとか言うけれど、私は十代の頃から音楽でイクことができた。
イク、つまり到達すること。
それを私は脳内射精と呼ぶ。

SM嗜好者において限定的なシチュエーションでなければ興奮できないという人達がいるでしょう。
女性に顔を踏んでもらわなければ、ストッキングを履いた足でなければ、男性器を小さいと詰られなければ。

それらのように、私が音楽でイク場合にはセッティングが大事である。
とは言ってもいとも簡単なことで、まず仰向けに寝ころび、ヘッドフォンを装着する。
そして自分の思う気持ちがいい音楽を聴く。
脳から脊髄にかけての神経に集中するだけ。

しかし当時ほどの情動性が今はない。
若かった頃の生きるために何かにしがみつこうとする貪欲さがない。
音楽で気持ちよくなれることには変わりないけれど、それがないと興奮できない、という変態性は失している。




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@manimanium









京都バルバラ25周年の特設サイトです。
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人の肌に触れながら、あぁ溺れてしまうなって思ったこと、ある?
目を凝視されながら言われたとき、私はかなりそそられました。


このままシーツに沈んでしまいたいと思った事はあって、その時は広いホテルの部屋に一人で、真っ白い固めのシーツがとても心地よかった。
誰かに背後から抱かれてるみたいに。
真夜中の時間、何もかもどうでもいい、そう思える瞬間って、最上の脳内射精もの。


ちなみに昨夜久しぶりに水風呂で脳内射精に至りました。
滔々と水、水に私、肺にまで水、そんなイメージがまさに水水しくなったその時。





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首を絞める。
という行為をとても好む。私は。
苦しんでる顔が見たい、というより、私が首を絞めている今その人の様子を観察していたい。
と思う。
最近気がついた事。


別に笑っていたって快楽に耽っていたってなんだっていい、とにかく今私に絞められていく状況、喘ぐそのさま。



そして相手が苦しくなってきたその時に、言葉を矢のように私の口から放つ。何度も何度も。
たたみかけるように問う。
「どうしたいの?」
息も絶え絶えに相手が何かをこたえる、そこまでが私のなかの首を絞めるという行為。






目を逸らした人間に出会ったことがない。



























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