2020年01月
ベッドの中の孤独に溺れそう
最近なんとはなしに目にし耳にして心に残った音楽の話。
▲Dimitri Vegas & Like Mike,Era Istrefi/SelfishのMVhttps://youtu.be/OdTMyWnlSjg
鯨が空を泳いでいたらとても美しい、と一度ならず空想したことのある私が思わず涙しかかった映像。
現実的にもし起こり得たとしたら、息を飲んでただただ見つめる。
そして世界に神に宇宙に感謝するでしょう。
あぁ
絶対に有り得ない、となぜ言い切れるの?
▼続いて
Jason Derulo & David Guetta Featuring Nicki Minaj & WillyのGoodbyehttps://youtu.be/kUjKxtJd21Eを初めて耳にしたとき、なぜかとても感動して心が透きとおる感覚だった。
しばらく聴いていて、すぐにその理由がわかった。
Sarah BrightmanのTime To Say Goodbyeのサンプリングである。
感動して至極当然。
天使の歌声と呼ばれるサラ・ブライトマン、ライブにも足を運んだことがあるくらいには好き。
彼女の歌うヘンデルのリナルドはまた美しい。
日常での些細な背景や横切っただけのものだとしても、自分の琴線に触れるものが隠れているかもしれない。
そしてそれを決して見逃したくない。
貪欲でいたい。
それだけの世迷い言。
だから、ランジェリー。
知らない人だらけの隙まで立ち止まる
御歳74。
年枯れた御仁の、死を背にしょっているかの老いた色気がたまらなく好きだ。
麿赤兒しかり、仲代達矢しかり。
このたびは田中泯の話である。
しかしほんとうにエロティックだったのだ。
どうしようもない恐怖、この人は影に同化すると思える不安、仄かな照明でうっすら見えるあれは手だとわかった瞬間の怖さ。
怯懦。
だけどずっと体の内側が熱くて、脊髄あたりが熱をもってるみたいで、寒気は一つもしなかった。
その後の優しい音楽で真剣に恋をした。
ただずっと左片隅は真っ暗なままで、そこへ目を向ければまたあの人は消え入りそうだった。
中心がずれていく。
この衝動をどうしたらいいの。
胸を衝く。
久々にそんな感覚に陥った、とても愛しい。
こんなものは書き殴りだ。
衝動をどうにかしないと、私の頭が脳内が断線しそうなだけだ。
枯れ死んだ木に畏怖の念を抱く気持ちと似ているかもしれない。
どうしてすでに死んでしまっているのに、もう死んでしまった姿で世界に存在しているのかがいつもわからなくて怖くて、敬う思い以外沸き上がらない。
雪でも降れば感傷に浸れるのにな。
まことの安らぎはこの世になく。
お月様逃げるまで。
Lingerie と口にして御覧なさい。
DetENtion
体のどこかが欠損している、または著しく残った傷の痕が好きだ。
昔から。
以前にも書いた記憶があるけれど、はじまりは火の鳥鳳凰編の我王である。
片腕しかない我王が、物語の末に、残された片腕までも切り落とされるあの場面がたまらん。息も荒げる。
目玉から脳天へ突き抜ける衝撃と快感。
しかし初めて実在的な存在として、その対象を認めたのは中学一年の時。
陸上部の市大会か何かで、短距離選手だった私が目を奪われたのは長距離レースが開始される直前。
左手首から先のない選手だった。
白い肌に映える黒のユニフォームをとてもよく覚えている。
正直のところ相貌は失念しているけれど凛とした立ち姿で、無い手首の先を目にした瞬間、見てはいけないものを見てしまった気がして小さな、しかし確かな興奮を覚えていた。
懐かしい。
ひどく懐かしすぎる。
目で追いかけながら、どこの誰なんだろうなんてひとつも思考に浮かばなかった。
ただずっと視界の向こうで、走る姿を眺めていたかった。
彼女を目にしたのはその一度だけ。
あれ以来、何かと私の好む人達に出会ってきた人生だと思う。
小指のない人、びっこを引く人、義眼の人、義足の人、腕がない人、事故で腹の脂肪の削げた人。
欠損部位に舌を這わせたり、義眼のはずしたガランドウに指を挿したり、肉の削げた痕を指でなぞったり。
背徳感に似たあの淫靡は一体なんなのか。
さらに私の、背筋ぞくぞくさせるに至る話をまたひとつ。
義足をはずした人達が義足をはずした為に、ぴょんぴょん片足ではねたり、匍匐していたり、いざり歩く姿というのは、背骨から子宮へ何かが伝い落ちては這い上がっていく。
あぁ。絶対に私のものにならないで。
そう切に願うほどの恍惚。
この意味わかる?
きっと伝わらない。
ゆえに今は割愛する。
記憶の片隅の話。
今にも繋がる話。
幼少期の大火傷でひきつれた皮膚、まるでスモークハムの様相。
触れたらつるんつるんとセルロイドのよう、偽物みたいなその肌が、今とても気にいっている。
暗い八月
頭の中をひとりにさせないで。
新年明けましてオメデトヲゴザイマス。
2020年、令和二年も亜きらをどうぞよろしくお願い相申し上げます。
して、この時に一年の抱負を掲げる人は多いでしょうけれど。
辞めたいのに続けてしまう事と、
続けたいのに辞めてしまう事の違いとは一体なんなのか。
辞め続ける、行い続ける、そのどちらものエネルギーはきっと同じものなんでしょう。
何かを我慢し続けながら生きるのは、本に辛いことにあります。
実に、骨身を削る思い。
苦しみ痛む精神をもってしてまで、人間らしく生きる意味が今でもたまに解らなくなりますね。
私なんぞの魂では。まだまだ。
煩悩即菩薩。
善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。
しかして、
天網恢恢疎にして漏らさず。
正しく生きられたらいいのにな。
自分の感情をすべて抑制して、他者の為に生きるなど私は決して望まない。
自分の直感と感情の流れを滞らせたくない。
誰かの流れと交錯したり搦められたり、迸ったりそんなのでいいやって思う。
▲2019年のほんの記録。
これからが真冬のはじまりよ。