2019年12月
目から入って脳を伝って、指先から流れ出ていく。
大人になるのが怖かった。
自立した人間として一人で生きていかねばならぬ、その責任感の重圧に自分が耐えられる想像が全くできなかった。
7才頃にはそれを強く感じてた。
幼かった私は、さらに死ぬ事を死ぬほど恐れていた。
タナトフォビアと言っても過言ではなかった。
大人になるということは死に近づくと等しい、ゆえに大人になる恐怖を強く抱いていた。
夜の眠る前、布団のなかで死を想像しては真っ黒な色に包まれて泣いていた。
夜と死の印象に接点を見いだしていたのだと思う。
ほんとうに変な子どもだった。
その私が今こうしてSMを生業として生きているのは、自然の摂理であると深く思う。
むしろ感謝の念である。
世界へ。世界のSMを愛するすべての人々へ。
そして私を欲するあなた達へ。
一年の終わりが迫って思う世迷い言。
ONE2%2BONE9
ぼくのさびしい記憶にふしぎの注射をしてください
呼吸管理と言えば聞こえは何やら格好いいけれど、単に私は苦しそうに喘ぐ姿を見ているのが好き、たまらなく背筋にゾクゾクくるだけである。
曇りいく苦悶の表情を眺めていたい。
いつかもブログに書いた気がする。
幼少期の頃、何も知らず考えず、首が座ったばかりのような赤ん坊だったいとこの頭へ、空っぽになった食パンかのビニール袋を被せたことがある。
当然赤ん坊はイヤイヤと首を振る、その姿がなんとも愛らしくて。
愛らしくて眺めてた。
可愛いなっと思いながら、笑ってた。
私は笑ってた。
愛らしくて。
そこへいとこの母親、つまり叔母が現れ事は終わりを遂げる。
私に対し、人非人へ向けるかの軽蔑しきった視線でもって。
この記憶が、今の私の所謂呼吸管理を好む底流をなしている。
誰もが片端の奇妙な一夜
とても楽しく奇妙な時間だった。
私の実の妹の獅童と、初めての姉妹責めを東京にて敢行したという。
実はこれ、望んだのは変態の彼。
姉妹というワードが好まれるのは、獅童がバルバラで働いている当時から知ってはいたものの、姉妹責めとは我ら姉妹だからこそできた事でしょう。
最も、当の変態曰く、長い変態人生の歴史の中で、姉妹責めの経験は何度かあったらしいけれど。
しかし思い返すとなお、奇妙だった。
私はもちろん傀儡堂の亜きらであり、PLAY mode Switch ON の状態のはずが妹の存在によって、じゃれつくキッズ遊びのような無邪気さが常に空気として纏っていた。
また空間ここそこに充填されていた。
奇妙な胡乱さ。
なにせ同じ母の腹から生まれてきた姉妹である。
その不思議な感覚のなか、あの時間をさも楽しげに共有できた変態の彼は流石。
あまり具体的に心象が表せられない。
そんな夜。
ちなみに獅童は、六本木ドルチェにて薫ママのお世話になっているので
出勤は少ないけれど、気になる方はどうぞ一度ドルチェへ。
そして姉妹責めをもしあなたが望むのであれば、傀儡堂または私まで問い合わせを。
むきだしの散文的情緒
精神が自意識が罪悪感が感情が自尊心自制心被害妄想が脳内でクオリア。
自分のそばから離れていったものの実感は、面白いほど自分と外とのあいだに隙間を作る。
隘道。
狭い狭い道がある。
もう自分からは外れてしまった道。
横目でそれをちらと眺めては、暗いむこうの見えない先に嘆息する。
消沈する。
視線が落ちる。
足元まで自分が沈んでいきそうに。
あそこへは行けない
私の辿る道ではない
と、まざまざ新しい現実を思い知るだけだから。
ただこんな風に言葉にして吐き出す事に意味はない。
ひとつも。意味はない。
私の古くからの心癖。
明日には絶対に読み返さない。
でも消えない。
忘れない。
思い出さない。
というのは嘘。
何かが変化の強要に迫られる予感がしている。