唐突だけれど鰐の求愛行動とは、お互い泡を吐きあって興味を示し合うらしく、その光景がとても神秘的だったので鰐をちょっぴり好きになった。
▲肝心の泡の光景が撮れなかった
言わずもがな、私は水を愛していて、水泡(と書いてみなわと読む)ももちろん愛しているから。
常々鰐のいない国に生まれてよかった、と思っていたけど美しい交尾だなと思ったという話。
水、できれば小さな池や川へ、小石をぽしゃんと投げる。
上手く落とすことができたなら、ドボンといい音鳴らしながら石は沈み、ぶくぶく小さな泡を吐く。
水面にわんわん、とまるく広がる波紋。
そして波紋が消えて、まさに水を打ったように静まる。
そのさまをずっと見ていたくて、何度も石を投げ続けたは日曜日の午後。
心のなかでは、宮沢賢治のくらむぼんを思いだしながら。
初めてのトレランに挑むため、兵庫は宍粟市に行った先で出会った小さな水景でのこと。
これからの季節、新緑は緑を濃くし、水は陽射しをキラキラと反射させ、生きものたちは騒ぎはじめる。
水田が待ち遠しい。
今年はどこの川や水田へ出かけようかな。
暑さに弱く夏が苦手な私だけれども、春の憂鬱さよりは幾らか生命力溢るるはず。たぶん。