悩んでいた、思いのほか長いあいだ。
随分と気分は暗く下がるがまま、冷たい地下水路をひた歩く心持ちだった。
頭蓋がヒビ割れそうに疼く頭痛も、懊悩するがゆえと思われた。
頭の重い日々が曇り空よりも陽を隠した。
いやが上にも実際上、悩んでいた。
しかしてその悩みたるや、自己の意識を重く圧するに値するとは言い難く。
悩み(問題)が発生すれば、諸々の状況を明らかにしたあとで、それらを解決する為の策を講じるもの。だと思うのですが、これが自らに置き換えるとそうもいかない不条理この世の常。
幾ら考えようにもどうにもならない事(問題)ほど、先がどうあれどうだっていい、という諦めに似た心境(こたえ)と結びつきがち。
そしてそれは決して解決策とは呼べず。
というか自己内省から合理的な解決策を導きだせた試しがない。
きっと外側へ何ら影響を及ばさず、他人様や周囲からは見えない事柄だから。
自分の中でだけの問題ってなると、取り急ぐ必要も重要性もない。
つまり、自分の内側で煩悶している事など一切合切取るに足りんということ。
こう結論づけましたが、今回の私の自己内省的主張。
お付きあい戴き恐悦至極に御座います。
話放り投げついでにこちらの画像、
左足にハイヒール、右足に運動靴所謂スニーカー
なんの変哲もない、そんな画像。
さて、どちらを手にするかはその人次第。
手にすることなく通りすぎる人だっているて然るべきでしょう。
さらに手にしてなお、口に含むも自らの足に履くも舌でなぞるも捨て去るも、人それぞれであって
どれがこう、これはこうあるべき、なんてお仕着せは野暮も野暮野暮。
見えるものも見えなくなる。
私の好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。
すべてを愛せないから、すべてから愛されることも難しい。
ってことをついつい忘れがちになってしまう、シンデレラ症候群ってやつかしら。
たまに(?)は、お姫様扱いされたいよね。
ではごきげんよう。