日頃、水槽のメンテナンスをしているとふと思う事。
例えば水草の切れはしや糞の掃除。
水槽に手をいれる。
えびちゃんや魚たちからすれば、大きな物体が上から現れるわけだから、自分の世界に置き換えてみればそれは恐ろしいこと。
だって、空から大きな物体が現れると等しいわけでしょ。こわや。
また、例えば水換え。
五分の一ほどの水を抜き、同じだけの新しい水を足す。
そうする事によって、水槽の中の水質を一定にするのが目的だけれど
反対に、良くない変化を起こしてしまう場合もある。
それを自分の世界に置き換えてみれば、誰かによって世界にある物質に手を加えられるって事だから、それってつまり神に等しい。
っとふと思い当たった。
思ってそして怖くなった。
この水槽のなかの子たちにとってすれば、ここだけが世界なんだと気づくには今さらすぎる事も
私の行い如何によって左右される小さすぎる世界だっと認識する事も。
だって私は最近、おなじように水槽のなかにはいりたいなと大した意味もなく想像してみるくらいには、
この小さな世界の住民たちを愛してるのに。
そこで誰かに飼われたいとは思わない。
水槽のなかで飼育、って言葉はSM的に見ればとてもフェティッシュに感じられる。気がする。
それでも結局観賞する対象としかならずに、ごく一方向側にのみ満たされ得るエゴイズムな行為となるだろうな。
つまり観賞魚と同じ。
私がいくら愛すると称したとて、それ故にいくら愛をかけて行ったとて、
魚達には届かないし伝わらない。
そうである以上、一方的なオナニー行為でしかないと私は思う
そして悲しくなる。
私たちは、魚にはなれない。
さらに、お寿司はおいしいもの。