たとえばそこらへんを歩くだれか見知らぬ人達を捕まえて、
「SMと聞いて連想されるものは?」と問えばきっと、さして悩む間もなく返されるであろうその内容たるや、目隠しや手錠、全身黒に身を包んだハイヒールの女王様と鞭!
…とい事となるだろうとこれまた容易に予想していたのだが。
それはつまり抽象化されたSMのイメージが、所謂SMグッズと切り離す術もないものとして既に皆々様の裡に出来上がっているってことでしょう
ひなまつり=金平糖のように。
隠微さや後ろ暗さの皆無であるSMプレイ
あらゆるものの普遍化する速度というか世の流れが、400m競走のそれと同等くらいに思うこの頃。
つまり現代人の形態が、
人間の
容易く手にしたものは容易く失われていく、因果的に。
それこそ気軽に色んな人と繋がれるSNSは、まさにお手軽な縁のはじまりと終わりの坩堝かに思えてならぬ亜きらです、こんばんは。
もうすぐ春がが来るとは関係のない
話で、
遡ること数百年。17か18世紀のフランス革命とかそのあたり、ヴェルサイユ宮殿だのバスティーユ牢獄だの、薔薇も気高く散りそうな、飽くまでおフランスで生まれた物語。
ソドム百二十日に描かれたサド侯爵の精神か欲望が、依然として現代的なSMプレイの底流をなす一方で、あれ以上のSMは生まれていないんじゃなかろうか。知らんけど。
灰ずんだ古城と同色の土壁、天井から吊り下がった鉄の拘束具。
これらは西洋のBDSMと聞けば連想されるイメージ、つまりしょっぱなに植えつけられたサド侯爵による印象そのもの。
少し脳内にちらつく血の侯爵夫人物語は片隅に押しやって。
さて 物々しい雰囲気から漂う嗜虐性、マゾ側からすればこれから行われる責苦や展開を予想し、ひいては知った快楽をも覚え得るエロティック性。
こうした観点では、場所に姿格好といったシチュエーション、そしてずらりと並んだ凶器の数々(所謂SMグッズ)。
それらを目にしたマゾ側の記憶か感覚が反応した時が、SMのスタートと言えるでしょうね。
そして、 それゆえにSM行為イコール道具ありきだと。
日頃重たいキャリーを引きずってる身としてはYESと言わざるを得ないところだけど、私個人としては道具などなくてもお互いの認識に依ると思っている。
しかし、女王様であるためには道具は必要と言えるかもしれない。
道具ひとつない空間で行われる行為もSMたりえる派、に与する私としては、あるプレイに際して少し思うことがあったのだ。
以下は最近あった出来事。
簡単に言えば突発的に生じたプレイ。
そのきっかけを見逃せば、次はないかもしれない事から決断し、ホテルへ到着するも、そのとき手元に在った道具らしきものと言えばこちら↓
アナルローターひとつ。ボンテージテープ。ローション、以上。
簡素。簡素すぎて寝たい気分に襲われたくらい。
このとき、やはりプレイするとなればある程度の道具を求めると気づく。
試行錯誤しながらコンドームにティッシュや歯ブラシつめて簡易ディルドぶってみたりしたものの、相手のけつまんこが解りやすかったので、指で責めることに。この私の手と指で。
結果、たった私の指二本でメスイキに到達するまでと相成りました。いえー
まじで指吊るかと思ったけど、一度震えちゃうと止まらなくなるのがおちりだもの。
最初数分は道具なさすぎてそわそわしたけど、申し訳程度にボンテージテープで目隠しをしたら、久々の視覚ゼロ感覚も味わい深かったとかなんとか。
耐性からの脱却、ってやつかな。(テキトー
最後になったけど、
こちらの「動くな。」の一言が、透明な拘束具を嵌めたように動きを制限する相手の桎梏となるならば、それはとても文学的であると同時に私の悦に入ること。
こんかい、言いたいことの一割も書けてないけどまだまとまらないからこの辺で許しといてあげる。
春は憂う。
いとも容易く、幼かった頃の懐かしい切なさを体感させられるから。