たまにバルバラにてセックストークが盛んな夜がある。
最後にしたセックスはいつ?なんて問われると遠く忘失した記憶は役立たず、
最後に海苔弁食べた日を思い出す方が容易だってはなし。
今までいちばん気持ち良かったプレイまたは性体験は?ってな類の質問ももはや倦怠、飽き飽きでしょ?
それに今のいまがいちばんでなきゃ私はやだ。
自分にとっても相手にとっても。
ただ忘れることのできない感覚なら、ある。
もしもそれに執着したり追体験したがるとすれば、本質的なマゾヒスティック性となるのかもしれない症候群。
実は、私は海とセックスしたことがある。
なんてなことない、夕日迫る波打ち際に友だちと足をのばして座っていると
ちょうどお臍あたりまで押し寄せる波が引いては返し、またお臍まで濡らす。
その感覚がまさに「あ。わたし、セックスしてる!」
と思わず叫ぶくらいめちゃくちゃ気持ちよくて、見ると友だちも同じ感覚を共有してるってすぐにわかった。
ほんとは同じじゃなかったにしても、こっちが共有してるって思えるだけでそれはもう同じこと。
海とセックスしてる感覚と、それを友だちと共有してる感覚、どちらも私にとって受動的な最高の快感だった。
今でも。
脳みそなんて低スペックなハードだから、なんでも人生すべて思い込み。
だって、私たちが私たちでいられるのも記憶の蓄積された構築でしかないと思うもの私は。
自我なんてあやふやなもので、これは自分の記憶なのか誰かの記憶なのか、定かでなくなるような記憶のすり替えもよく起こるはなし。
自分自身を忘れたら、それは私と言えるのか、と無駄に考えたこと数億回。
記憶喪失になったとして、それまでの自分と、そこから構築される自分とを比較するための実験があればいいのに。
要はセックスもとい性的行為なんて思い込み、ってことよ。
脈絡ない話を脈絡なく終わる。
最後にしたセックスはいつ?なんて問われると遠く忘失した記憶は役立たず、
最後に海苔弁食べた日を思い出す方が容易だってはなし。
今までいちばん気持ち良かったプレイまたは性体験は?ってな類の質問ももはや倦怠、飽き飽きでしょ?
それに今のいまがいちばんでなきゃ私はやだ。
自分にとっても相手にとっても。
ただ忘れることのできない感覚なら、ある。
もしもそれに執着したり追体験したがるとすれば、本質的なマゾヒスティック性となるのかもしれない症候群。
実は、私は海とセックスしたことがある。
なんてなことない、夕日迫る波打ち際に友だちと足をのばして座っていると
ちょうどお臍あたりまで押し寄せる波が引いては返し、またお臍まで濡らす。
その感覚がまさに「あ。わたし、セックスしてる!」
と思わず叫ぶくらいめちゃくちゃ気持ちよくて、見ると友だちも同じ感覚を共有してるってすぐにわかった。
ほんとは同じじゃなかったにしても、こっちが共有してるって思えるだけでそれはもう同じこと。
海とセックスしてる感覚と、それを友だちと共有してる感覚、どちらも私にとって受動的な最高の快感だった。
今でも。
脳みそなんて低スペックなハードだから、なんでも人生すべて思い込み。
だって、私たちが私たちでいられるのも記憶の蓄積された構築でしかないと思うもの私は。
自我なんてあやふやなもので、これは自分の記憶なのか誰かの記憶なのか、定かでなくなるような記憶のすり替えもよく起こるはなし。
自分自身を忘れたら、それは私と言えるのか、と無駄に考えたこと数億回。
記憶喪失になったとして、それまでの自分と、そこから構築される自分とを比較するための実験があればいいのに。
要はセックスもとい性的行為なんて思い込み、ってことよ。
脈絡ない話を脈絡なく終わる。