長時間プレイにて時間割りごっこ。
参考資料もそえて。(冗談
まずはHRでこれまでの振り返りや目標なんかについて、臨床心理士ばりに聞き込みもとい話し合うところからはじまり。
朝の会とか朝礼とか、そんなようなの。懐かしい、懐かしく楽しかった。
お相手である内面に潜ませているモノが窺えるのに自分ですら杳として掴めずにいるエフ氏(星新一より)の、プレイを重ねるにつれ精神性の滲みだすように少しづつ剥がれていく殻というか鎧というか。
変容していく己にびびりながらも自分が一体どうなってしまうのか「その先が知りたい!」精神旺盛のエフ氏には言ってなかったけれど、「きょうで丸裸の生エフ氏にしてやるぜ」と心の箱庭ぶっ壊すことが私のひそかな目論見だったのだ。
心の箱庭、土足で踏み込まれたくない自分だけの領域。あるでしょ?
私も猿もエフ氏も誰もみんな心の奥っかわにあるもの、だけどずっとそこにひとりぽっちでいすぎると間違いやズレが生じやすい上に気づけないという。恐ろし。
ずっと内側でしか生きないってなら問題ないんだろうけどね。
そんなことしてちゃんと、社会生活営めないもんね。
なので人と人の間で生きていくためにも、自分だけの世界と外界とがちゃんと繋がっているかとたまには確認しないとだめ。
(持論)
つまり「自己を見つめる」、などと供述しており…
なんてつい茶化したくなるこの言葉の意味が大事。
そこで私の好きな言葉に言い換えると、
内省。内で省みる。これ。
なんと日本らしく美しい言葉でしょう。
しかして内省も過ぎればナルシストに成り果てるけれど、自分の内で深く静かに思考するイメージ。
エフ氏はと言えばまさにplayback.
いつもの反省会よりもちょっぴり真面目に、時間割りさいごの終わりの会にて。(終礼!)
私とのプレイを振り返り追体験していきつつ、自己の興奮ポイントや感情の振幅、心の機微を把握していくことがやんわりとした目的。
いかなる作用が働いて自分の裡に影響を及ぼしたのか、脳みそ開けたってわからないことを思考する。ひまなの。
同情、共感。否定。感情の起こりは大体これらが多い気がする。
生まれた感情の行方も私は見失いたくない。
ずっと頭回して考えてたら、ある日突然に「そういうことか!」と閃きが啓示の如し。
例えば今日理解できたことがあれば
それまで見えなかった景色が見えたり、まるで感覚がひとつ増えたようだったり。
さて?2時間目,3時間目の苦痛のじかんを乗り越えて、エフ氏は3カ月ぶりかに射精と相成りました。
そして。到達できたのかしらん。
結果として、私の目標のぶっ壊すほどまではいかなくとも天地ひっくり返すくらいにはできたかな。なーーーんちってね。