亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

2017年05月






気になって仕方ない、もっと知りたいという思いが恋だとして、
「自分だけのものにしたい」ってのは欲FinalAnswerでしょう。

「好きだから」という好意と善意の名のもと、相手のこと慮らず感情や行為押しつけるなんてもっての他で。

感情論と精神論が似て非なるもののように、恋と愛はおててつないでないのだと私は思うなの。
あ、今の私は。

愛について語るなんておぞましい、じゃなかったおこがましいからお口ミッフィー。(・x・)


好きな人に好きになってほしいってのはいちばんのわがままだって昔、私の好きだった人が言ってた。

むずかしいね。
こんなに人っころは地球に転がってるのにね。

私は感情をSMの行為に必要とするけれど
濃すぎるものは時にべろが痺れて味がわからなくなっちゃうのかもしれないな。 

最近、某かの人の気持ちや心について沈思黙考することが多くて
なんとなく、私の外側が今かたい。
こちこちに固まったら、じきにひびが入るかそれとも蛹みたいになかでどろどろ溶けるか。

どうあっても変化するならそれはよいこと。そうでしょ?

静かに。
考えても仕方ないことを考えるのは私のもはや趣味。
シフォンケーキが食べたい。

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ここしばらく自信が持てなくて、でもあまり頭を回して思考を構築するのも嫌で、
なーーんにも感じないふりしてたけど
振り返ればそこにいる気がしてだめだね。
たまにはちゃんと自分と向き合わないと。
 
ともすると自己内省しては独断的な完結に至るのが私の悪いくせなので、たまにはぶん投げちゃってもいいかなーーって軽く甘く思っただけ。
投げても現実のむこうまで飛んでくわけじゃないし
自覚してる限り終わってないのかもしれない。なんちて。

現実での苦悩を共にしながら安定をはかる関係と、
非現実的関係のもとに秘密を共有するのは対なのかな。
 
どっちも欲しいから、私たちがいる。

私の言葉にいちいちの深い意味はmjdない。

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見られるということ。
見るということ。

どちらも主観的な話で、外側からの客観視によれば違いはないはずなのに
両者はとっても差があるね。


発信したものがどう受信されるかも人が違えばそれぞれ。
発信した側が意図せぬ捉え方によって影響が大きくなったり小さくなったり。

何が言いたいとかなくて、
私は受信する側でいたくて誰になんの影響もせぬものでいたくて
どんな形にもなれるのに触れると感触のなくなる水のようになりたいと
二十の頃考えていたなーという話。
水底、みなぞこって美しい言葉だなって。

月が高くほんとの天辺にいるときは
見上げる自分がどこかの底にいる気分になる、あれがすき。



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朧月の夜はもう終えたようで、今夜の月は目が覚める様でした。
新緑が青空に映える季節は瑞々しくていいです。


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