亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

調教記録




同じ行為のはずなのに、違和感を覚えるときのフラストレーションがきらい。

これじゃない、
だけど何が妥当なのかわからない。

だから暴力的になる事もあるのかもしれない。
一方向的な暴力行為。

それでいて、甘んじて受容するしかない人達を私は憎まない。


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触れた素材感、着心地、繊細な美しさ。
自分だけの満足感に浸れる、他人からは見えないアンダーウェアゆえの美しさに惚れて、私は十代の頃よりランジェリーが好きだ。



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なぜ変態はピンクを好むのだろう。
愛おしさと嘲笑と。


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もっと、もっと。
もっと先へ。






ランジェリーの言葉の響き。
透きわたる鐘の音のようでしょう。
私はレースをとてもとても深く愛しています。
あの触れたら消え入りそうな繊細な存在。
どうかするとすぐに破れてしまう儚い美しさ。

女性らしさに見合った美しさだと思っているけれど、そんなランジェリーを愛する変態の彼と先日遊びました。


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▲私の身につけたランジェリーはイタリアのLa Perlaのもの。
レースと言えばフランスとイタリアですもの。

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女装趣味として女性用下着を着用する変態はままいるけれど、レースを理解したランジェリーフェチの人間は珍しく思えたし、嬉しくもあったというお話。







新年明けましてオメデトヲゴザイマス。
2020年、令和二年も亜きらをどうぞよろしくお願い相申し上げます。

して、この時に一年の抱負を掲げる人は多いでしょうけれど。

辞めたいのに続けてしまう事と、
続けたいのに辞めてしまう事の違いとは一体なんなのか。

辞め続ける、行い続ける、そのどちらものエネルギーはきっと同じものなんでしょう。 

何かを我慢し続けながら生きるのは、本に辛いことにあります。
実に、骨身を削る思い。
苦しみ痛む精神をもってしてまで、人間らしく生きる意味が今でもたまに解らなくなりますね。

私なんぞの魂では。まだまだ。
煩悩即菩薩。
善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。

しかして、
天網恢恢疎にして漏らさず。

正しく生きられたらいいのにな。

自分の感情をすべて抑制して、他者の為に生きるなど私は決して望まない。
自分の直感と感情の流れを滞らせたくない。

誰かの流れと交錯したり搦められたり、迸ったりそんなのでいいやって思う。

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▲2019年のほんの記録。



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これからが真冬のはじまりよ。


三人ほどのプレイを一言で振り返る。


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ふしだらな体型ってみだりにエロチックよね。


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光るアナルのむこう。


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彼は言った。
数回目のプレイにて、やっと初めてちんこに触れてもらえたと。
ちなみに射精は未だいたしておりません。


色々な人間がいる。
色々なBDSMが存在する。
同じものはありません。

私はいつもここにいますけれど。
それだけ。

その時したい事をするだけ。





呼吸管理と言えば聞こえは何やら格好いいけれど、単に私は苦しそうに喘ぐ姿を見ているのが好き、たまらなく背筋にゾクゾクくるだけである。

曇りいく苦悶の表情を眺めていたい。

いつかもブログに書いた気がする。
幼少期の頃、何も知らず考えず、首が座ったばかりのような赤ん坊だったいとこの頭へ、空っぽになった食パンかのビニール袋を被せたことがある。

当然赤ん坊はイヤイヤと首を振る、その姿がなんとも愛らしくて。
愛らしくて眺めてた。
可愛いなっと思いながら、笑ってた。
私は笑ってた。
愛らしくて。

そこへいとこの母親、つまり叔母が現れ事は終わりを遂げる。
私に対し、人非人へ向けるかの軽蔑しきった視線でもって。

この記憶が、今の私の所謂呼吸管理を好む底流をなしている。

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とても楽しく奇妙な時間だった。
私の実の妹の獅童と、初めての姉妹責めを東京にて敢行したという。

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▲普段は糞マゾな妹が色々な角度からの写真撮ってくれたのも面白い

実はこれ、望んだのは変態の彼。
姉妹というワードが好まれるのは、獅童がバルバラで働いている当時から知ってはいたものの、姉妹責めとは我ら姉妹だからこそできた事でしょう。

最も、当の変態曰く、長い変態人生の歴史の中で、姉妹責めの経験は何度かあったらしいけれど。

しかし思い返すとなお、奇妙だった。

私はもちろん傀儡堂の亜きらであり、PLAY mode Switch ON の状態のはずが妹の存在によって、じゃれつくキッズ遊びのような無邪気さが常に空気として纏っていた。
また空間ここそこに充填されていた。
奇妙な胡乱さ。

なにせ同じ母の腹から生まれてきた姉妹である。
その不思議な感覚のなか、あの時間をさも楽しげに共有できた変態の彼は流石。

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あまり具体的に心象が表せられない。
そんな夜。

ちなみに獅童は、六本木ドルチェにて薫ママのお世話になっているので
出勤は少ないけれど、気になる方はどうぞ一度ドルチェへ。

そして姉妹責めをもしあなたが望むのであれば、傀儡堂または私まで問い合わせを。





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私の後ろに変態がいます。

冬ってほんとに猫肌と人肌が気持ちいいよね、暖かい肌限定。

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これまた私の後ろに変態がいます。


冬はすき。
大好き。
しかし寒さには強くない。

冬がすき。


私はダウナー型人間である。
アッパーな空間にいてさえ、ダウナーへと自分に取り込み浸透させる事ができる。

外へ向けて某か、例えば対人間へと好戦的になるときは、その反作用に過ぎない。

ダウナーでいられないストレス、またダウナーからひとつ横にずれればそれはダウナーではなく、ならばダウナーを求める意味も無くなり、両極端な私はアッパーな行為へと振り切る事もしばしば。

さてここまで述べたところで、潜在的なものと顕在化しているものを、すべて見透すなど意味があるのだろうか?

そしてそれは人間同士のあいだで相互いに見透せるものなのか。

知らぬ。
しかし推し量る、という心理的行為が私は好きだ。

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▲Fucking Lipsである。

私の事が欲しいなら欲しがり続ければいいと思う。
ここでこちらを推し量ろうとする行為など無意味に等しい。

与えられないかも知れない、そう思えば思うほど欲しがり続ける人間は多い。


そういう人々はきっと、危うさのない関係性や行為には飽き飽きしているのでしょう。



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▲いつかの様子。


しかし私はダウナーなのである。







自由の反対、自由じゃない状態とは、分りやすく、かつ自由を奪われたと言えば拘束でしょう。

勿論私も好き。
縄で拘束した相手を転がして、放置しておく事がたぶんいちばん好き。
拘束した状態で言えば。

一度、相手を縄で縛ったまま、その隣のベッドで私はスヤスヤ眠った夜があったけれど
とても良かった。
それを是とせず、拘束された状態でどうにかされたい人々が多いことも承知だけれど。

前置きはさておき、しかして私は自由の反対とは、規則、制約、統制。
だと思っている。

刑務所での囚人の生活など、とても良い例で私の好む掟の上での生き方。

己の自由判断で行動できず、規則や時間で縛られると言えど、苦しむのは最初のみ。
何故なら、人間には耐性と適応力が備わっているから。
さらに言えば、忘れるというオプションまで脳内は働いてくれる。

慣れてさえくれば、最初の苦しかったことも忘れるのです。

SM行為においても、痛かった事や苦しかった事は覚えていても、仔細な痛みまでは記憶していないから、その痛かった事や苦しかった事の果ての何かをまた求めるのかもしれない。

とにかく、言葉での制約が成立すれば、それはとても気持ちが良い。

縄や拘束具を使わず、まるでそれらでもって拘束されてるのかのように、
私の「動くな」の言葉で身動きできなくなる。
一切。

精神支配とかそんな大層な事でなく、ただ目に見えないなんとも脆弱な言葉というものの力で相手が屈している。

素晴らしいでしょう。
ただそこまで辿り着くには、少なくない時間を要したい。

ゆっくりゆっくり。
一年、二年、三年。
そしてさよなら。
なんちって。

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