亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

抒情

真夜中のチェ・ゲバラ
なんとなくチェの煙草揃えてみたら楽しくなっちった。かっちょいいんだもの。

image




ひとり遊びのチェごっこ。

ひとり遊び、ってどこか官能性を帯びてて隠微なエロスの匂ひ。

単に言葉の響きがオナニーを想起させるってだけじゃなく。

 

思い出せるかなー、子どもの狭いコミュニティでのあれ。

子どもって、ひとり遊び=幼児だとか友達がいない奴、とかそんな風にひとりで遊ぶことを良しとしないし

仲間意識と少しでも違えばそれは悪だっと思いこんだり、悪が見つかれば仲間はずれにしたり…ってこども世界こわい。

 

私も子ども世界にいた頃は皆に隠してたけど、性に合ってるし今も昔もひとり遊びは嫌いじゃない。むしろ得意。

 

ただ、皆が忌避するそれを自分は楽しめることに後ろ暗いものを感じてたんだろうな。そんな記憶があった気がする。昔ですし蓋し。

 

そしてほら。後ろめたい感情や背徳感と言えば、官能をより刺激的なところへと連れてってくれるお友だち。

 

大人に知られたらダメ、と思うと秘密基地作りもより一層夢中になって、ね。楽しかったね。

 

[*ひとり遊び、人に知られないようにこっそりと隠れて遊ぶ行為。]

んむ。エロティック。

これからオナニーと書いてひとり遊びと読みましょうか。

 

BlogPaint

Googleに聞いてもわからんちん。


カストロ議長が亡くなったときのキューバの様子の写真、何度も見てしまう。
国民も兵士も皆泣いてて、胸に衝動を覚えるけどどうしたらいいかわからない。

何を聴いても悲しくなって泣いてしまい
何を書こうと思っても、暗く悲しいものばかりになってしまって何も書けなかったんだけど
落ち着いた今ちょっぴり振り返る。

事の発端は単なる生理のホルモンバランスのなんたらってやつ。
そこから沼にずぶずぶ飲み込まれるように「悲しい」の三文字がどんどん作用してっちゃった。

先日、母親の三回忌だった。
私はその集まりに行かなかった。
と言ってもうちは典型的な、家庭環境悪い系家庭だったので母親が死んだときも
「自分のお母さんが死んだ悲しみ」ではなく
「母親という絶対的な存在を失った寂しさ」が大きかった。

ゆえに私は三回忌の集まりに行かなかったわけで。
ただ、死んでからも我が子にこんな扱いを受けるなんて、幸せな人生だったのかなあ…と客観的にその人の人生を考えはじめたら悲しくて悲しくてしょうがなくて。

悲しみの沼から這い出た今は、そんなの考えたって仕方ないと思えるんだけど
その時は泣き濡れるばかり。

嗚咽するほど泣いてると、うちの小僧猫がね
すごい勢いでぽんぽんぽんと肉球で私の胸を打つんですよ。
そして頬っぺをぺろぺろぺろりーぬと。
それが滅茶苦茶心地よくて。泣いてちゃだめだって思った。
その後いつもつけっぱの映画チャンネルでたまたま流れてた有頂天ホテルって映画を見てるうち、だんだん元気になっていきましたとさ。

普段なら絶対見ない類いの映画だから不思議。

虫の知らせ、の話もあるけどこれは本気で暗くなる話だから今はよしておこうね。

感情の吐露は、性欲の発散と同じくらいに快楽を得れると私は思ってる。

おしまい

image




或る詰らない何かの言葉が、時としては毛蟲のやうに、腦裏の中に意地わるくこびりついて、それの意味が見出される迄、執念深く苦しめるものである。或る日の午後、私は町を歩きながら、ふと「鐵筋コンクリート」といふ言葉を口に浮べた。何故にそんな言葉が、私の心に浮んだのか、まるで理由がわからなかつた。



萩原の朔ちゃんの作品ですが、最近これと似た状態に。
少し前から
脳内でやたらとエゴンシーレの単語が思い浮んで、なんの思い入れも用事もないから考えなくなるでしょ、
そしたらしばらくしてまたはじまるエゴンシーレ。
こっちの意識せずともエゴンシーレが勝手に脳内で渦巻く繰り返し。エゴンシーレループ。

嫌いまで言わないけどエゴンシーレの絵を好きと思ったことなかったのに、エゴンシーレに頭支配されたせいでついGoogle先生で調べたりして、劇的な生涯にそそられて絵にも興味もわいたり。

小説でも音楽でも絵画でも、作りだした人のバックグラウンドを作品に見ようとしちゃう
もちろん、そんなの知らないでも素晴らしいものは素晴らしい。素人だけど。えへ
それに生い立ちが作品に影響するのか確かなことはなんにも知らない、ただ私はそれありきで楽しむ。と言ったら語弊が生じるけど、作家や画家に自殺が多いこととかそういうのもぜんぶひっくるめて思いを馳せたいのかもしれない。
空想大好きっこだもの。

昔、芥川の河童を読んだときに自殺した作家年表を作ったのがきっかけであろうかな。所謂中二の病。
あれに登場する作家ほぼ自殺か晩年発狂してるとわかって、そらあっくんも死ぬわと。
(これは内緒の話。割と最近もPCとインターネットという文明の力で、画家の年表は作りあげたものの作家はそのあまりの自殺者の多さに心折れました。)

sorry話それてしまってエゴンシーレでした。
なにゆえエゴンシーレループぞ、と思ってたらエゴンシーレの映画するようで。
それも今月末から公開とな。
ぴこーーん!と天命をうけたような顕示、我ながら素敵。
これは見に行くしかないでせう。





リカちゃん人形の髪の毛を切ったり体中に落書きしたり、母親に怒られては繰り返してた子どもの頃とおなじ。
私がしたいと思ったことを私の好きなようにして遊んでたい。

大事にできないことを叱られてたけどリカちゃんのこと、嫌いなんかじゃなかったのに。



S_5463664927932



ふごふごするさま。不思議と笑ったまま。ふふ。



したかったことを達成した途端、「いらない。」ってなってすぐさま心底ぽあしたくなる事、たまーーにある。
誰しも陥ったことのある利己的かつ普遍的な、芥川の芋粥のようなあの心理のふしぎ。



S_5436729865551


星がみたい
山にいきたい
お年玉が欲しい

あ 神様にお願いするべきことだった。

 

遅ればせながら、私亜きらブログ開設と相成りました。

 

私の内的世界ひたひたの、偏愛的我が儘に綴っていく所存。


ただ最近、自分の感情や心的断片をうまく掴めず言葉がばらばらと底へ逃げてくから、一層わけのわからない表現になるかもしれない。

水底の魚みたいな。

chaotic a benthic,憂き身をやつしてここにお付きあいあれ。

 

今は機能低下してるけれど文章を書くことは本質的に私の要素の一部なので嫌いじゃない、むしろ好き。

でもだめ。今心に浮かぶのは

面倒、煩わしい、五月蠅い。

ここから外にでたくないと内面世界で駄々こねてる。

私だってこたつからでたくない。今こたつにいないけど。


欲しいものを与えてくれる人を好きになるのか、

好きな人から欲しいものを与えられたいのか。

 


私は欲しがられていたい。たぶん。

 


0128

よしよしって包容するとき、憐れむときと同じく脳内麻薬しみでる

すこうし身内の厄介事にどたばたして。始末ついてやっとGeorgeMichael追悼。少女の頃に初めて買ったCDがNOWBESTで、Queen目当てでしたけどドキドキしながら手にしたアルバムだものfastloveも腐るほどきいたわ。私の骨までしみついた一枚、今も手元にある奇跡。


C0px4tkVEAAu4Qp

↑このページのトップヘ