亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

抒情


二十歳の大学生。初めてのSM体験。
首絞めや格闘に興味があり、最近二十歳を迎えソープデビューしたことからSMクラブにもやってきたらしかった。

私は意地悪なので、どうして私を選んだの?とわざとらしく聞く。
返答は「SNSで綺麗な人がいると思って‥」

恥ずかしそうな青年の姿、いと初いし。 
首絞めや呼吸管理を愛してるので、彼には首絞め射精を覚えてもらった。

健やかなる変態に育ちますように。


SM童貞を捧げられる事を光栄に思う。
初めての記憶は強烈に鮮明だから。
そしてさらに育てる事が好き。

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大好きなまにちゃんに久しぶりに撮影してもらった記録の一部。 

夕暮れ迫るなか雪が散らついてて、抒情と寒さしかなかったけれど私はとっても楽しくって、胸はきゅんきゅんして手足の冷たさも愛しかった。  

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不思議と絶対大丈夫って思える瞬間や人っている。
人が生きてく過程で有り得る危うさとか儚さを直感的に捉えられてる感じ。

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記憶と感情が綯交ぜになって自我を構築すると思ってたけど、心が自己でも追いつかない反応する事ってあるね。
自我と世界のすきまってあるでしょ、意識と現実のあいだみたいな。
私が私でいられない、なんて有り得ないのに、私が崩れ去って小さな精神世界が瓦解していったとき、私は強くなったかな。

どうしようもないときは、私が救ってあげる。
だから手を伸ばし続けてほしい。






どういう時にハグしたいと思いますか?とたずねられた。
マーキングしたい時、安心感を与えたい時、私は敵じゃないと知らしめたい時、性的接触ではない触れあいをしたい時。

ではなぜそれらを気持ちを抱くのか?またそのような気持ちを抱くとハグをしたくなるのか?

いずれにせよ、愛情表現である、と帰結した。

どういう時に女王様を求めますか?
自己の自由を奪われたくなるのはどうして?

こういうことを、時に言語化しておくのはとても大事だと思っている。


おしまい。


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2023年も私に出会えた事に喜び震える者達が幸せとなりますように。

改めて言うと、私は拘束や呼吸管理を好むけれども、その底流には精神をゆだねる心のありようがとても大事。
感情の行方を掴むこと。

もちろん手を差しのばす者には、私も心をもって肌でこたえる。

絶対的な関係性を求めるならば。

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愛に浸りたいよね。



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冬は思考が凍る。


五、六年前のこと。
大阪のとある痴女系風俗店にてカップル調教なる文言を見つけた私は、当時仲の良かったマゾを連れ出して一も二もなく予約した。

彼がどう調教されるか見たいのもあったけれど、あわよくば余所様のエッチなお姉さまから私も調教されるぞ~!と意気揚々、心のちんちんるんるんで当日挑んだのだった。

「初めまして」とホテルで指名したお姉さまに相対する瞬間、あれ堪らない。
柔らかい雰囲気と黒目がちの垂れ目がなんとも色情味あって、これからの展開に期待が膨らむ。
男だったら股間も膨らんで然るべき。

最初は「彼がイヤらしく調教されるのを見てたいんです」「私のことは無視してください」と依頼した私だったが、どうやら私の存在に照れを覚えるお姉さまが可愛く思えてしまい、もっと困らせたくなってしまった。

持参した刺激ありの蝋燭をお姉さまに手渡し、ベッドの上で寝かされたマゾの隣に勇んで横になる。
「私にも垂らしてください」
戸惑いながらも「え~欲しいの~?」と私を責めるスイッチオンしてくれた姿にプロ根性を見る。
懇願する私、ボルテージの上がったお姉さま、容赦なく垂らされる刺激強めの蝋燭、耐えられず叫ぶマゾ。
太ももへ垂らされる蝋燭をお姉さまのいと楽しげな表情ありきで堪能していた私も、いっかな止むことのない刺激に段々苦笑しながら耐えきった。

そう美しい女王様が望むのなら耐えること一徹、それぞ美学。

実はあまり鮮明にそこから覚えてはいない。
ただ最後はマゾが嬉しそうに顔面騎乗されながら、聖水を拝受していたことだけ。

楽しかったな、ブログに書かなきゃなと思いながら月日が経ちすぎた今、記すに至る。
 
あの時お世話になったお姉さま、ありがとうございました。
 
そう言えば過去に知り合いのド淫乱女子を誘って、マゾが騎乗位ファックで犯されるさまを見せてもらった事もある。
私はこんなにHなのね、いやらしい、と感心しながら隣で「がんばれ~イクな~」とにこやかに声援しただけ。

性的に閉鎖されたなにかを解放することは、深く深く心まで愛撫される。
つまり愛。
素晴らしいこと。 

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唐突な思い出、ここまで。



  








誰かの悲しみに寄り添いたい。
心の開示や心情の吐露、漏れ出る感情の兆しが身体に現れるとか、そういうの、私の脳がキンキンに感じるから。

そういう回路をSMを通して繋げたいのだろうと思う。
ぐっしゃぐしゃに感覚が絡めば誰でも必死になるもんね。


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また一年がはじまるね。
心のどろどろを今年も解放していこう。
私を求めるならば、心を心せよ。


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皆の精神と身体の前途洋々はどこへ向かうか。
卯年の女は好きなところへ飛躍する。


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□傀儡堂出勤について□
一月は金曜日と土曜日のみ当日予約も解放する予定。
いずれにせよ前もって私に問い合わせしてくれれば日程合わせられる可能性大。





静かな静かな場所で、遠くの喧騒を聞いていたい。






大晦日に一年の締めくくりとして。

哀れなる君たちへ。
私に手を差しのべられていたいでしょう。
私に救われたいでしょう。
私に存在肯定されてたいと願うでしょう。

大丈夫。
私もそうやって求められることで水無瀬亜きらとして存在できるから。
私の足元でぐしゃぐしゃになってく様を眺めてたいだけ。

哀れな姿って心にときめくから。   
それだけ。 
ついてこれるかは心しだい。   


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この写真に隠されたメタファー、男子小便器を踏むことで何を表現しているか。
お前たちなら分かるよね?

ではまた2023年にお会いしましょう。



水無瀬亜きら。


自分の為の満足、自分だけしか知らない密やかな美しさ、その魅力に取り憑かれたのは18歳の頃。
バカの一つ覚えで通っていたアパレルブランドからランジェリーラインの出た事がきっかけ。
レース、サテン、シルク、どれも繊細で情熱的で慎ましやかに色香を漂わせる。
ファッションと違って、ひと様に見せることのない下着の楽しみ方を見つけた私は自分がそれらを身につける事に快感を覚えた。

今はコスチュームとして愛するランジェリーを披露する場面があるが、決して誰かの為ではない。
AubadeもChantal ThomassもMaison Closeもすべて私のため。
着用することで身の内側で愛を抱けるから。


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▲眺めてるだけで心に満ちる幸福感。




▼Aubade

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▼Maison Close
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▼La Perla
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▼Lise Charmel
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透けるようなレースは、雑に触れたらすぐに壊れてしまう。
私を高貴であり艶やかであり美しくしてくれるもの。


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ストッキングのレースももちろん愛してる。







愛とは繊細であれ。






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生まれたときからはじまっていた。
母親がキティラーだったから。
(キティ誕生は1975年-昭和50年)

いつかにも書いた事があるけれど、アトピーがひどかった幼少時、搔くのを防ぐため両肘にキティ柄の包帯をぐるぐる巻きに巻かれて幼稚園に通っていた。


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▲今は発売されていないようで、ネットから拝借した画像だけど、まさにこれ。

人と違うことを何より厭うていた私にとってそれは、まさに人と違うことの証明のようで心底嫌だった。
幼稚園の頃には自覚していた、私は皆とは違うってこと。実際幼稚園においてすでに仲間外れにされていた女だし、何かが決定的に違っていたのだと思う。

それはさておき、気づけば私の周囲にはキティがいた。
強制的に好きにさせられていた感も否めない。お箸、コップ、トートバッグ、お弁当箱、ランドセルカバー、ありとあらゆる物がキティだった。
小学三年生頃にはサンリオの中でもポチャッコやパタパタぺピーが台頭していたのでそちらに惹かれた事もあるし、高校生になるとディズニーのピグレットやスティッチに心奪われたこともある。
不思議なことに今現在はそのどれらも好きではない。

回り回ってキティに落ち着いたのは18歳頃だと思う。
理由はない。部屋にキティグッズがたくさんあると目が五月蝿いし、ぬいぐるみもアホみたいに持たなくなった。
しかしそれでも可愛いと思わせられるキティ。
口がないことが自分の感情と同調してくれるだなんだと言うが、赤いリボンと白くまるいフォルムのシンプルさが物を言っているのは間違いないだろう。
リボンなんて大好きでしかない。

さらに7年前サンリオに登場したこぎみゅんなる小麦粉の妖精キャラに私はメロメロである。
年甲斐もなく心惹かれ、可愛さに胸がハートでいっぱいになる。

そこにサンリオの凄さがある。年甲斐も時代も世代も越えるのである。
サンリオと言えばイチゴ新聞、可愛さの象徴としてのイチゴらしいが、その理由に苺の漢字には母の字が入っており愛情の源と呼べる母性をも兼ねているといったことをサンリオを設立した社長が述べていた。
(私の解釈違いあるかも)
 
とにかくサンリオの可愛いには確固たる理論と信念がある。
前社長の戦争体験を軸に、可愛いによる世界平和を願っているのである。
可愛いには不穏さがない。可愛いには愛があり愛には平穏と安寧がある。
この薄汚れた人間社会にあって、可愛いは心の救いとなる(ことがある)。

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上記の写真は淡路島に存在するハローキティの基地である。総本山とも呼べるかも知れない。
キティのおわしますところ、愛と救いあり。
ここに行った私の表情の可愛さ。
可愛いさは愛を伝染させるのであろう。知らんけど。

以上サンリオ(教)キティ(宗派)へ愛を込めて。
殴り書き。










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