亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

抒情



脳イキだとか言うけれど、私は十代の頃から音楽でイクことができた。
イク、つまり到達すること。
それを私は脳内射精と呼ぶ。

SM嗜好者において限定的なシチュエーションでなければ興奮できないという人達がいるでしょう。
女性に顔を踏んでもらわなければ、ストッキングを履いた足でなければ、男性器を小さいと詰られなければ。

それらのように、私が音楽でイク場合にはセッティングが大事である。
とは言ってもいとも簡単なことで、まず仰向けに寝ころび、ヘッドフォンを装着する。
そして自分の思う気持ちがいい音楽を聴く。
脳から脊髄にかけての神経に集中するだけ。

しかし当時ほどの情動性が今はない。
若かった頃の生きるために何かにしがみつこうとする貪欲さがない。
音楽で気持ちよくなれることには変わりないけれど、それがないと興奮できない、という変態性は失している。




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@manimanium









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人の肌に触れながら、あぁ溺れてしまうなって思ったこと、ある?
目を凝視されながら言われたとき、私はかなりそそられました。


このままシーツに沈んでしまいたいと思った事はあって、その時は広いホテルの部屋に一人で、真っ白い固めのシーツがとても心地よかった。
誰かに背後から抱かれてるみたいに。
真夜中の時間、何もかもどうでもいい、そう思える瞬間って、最上の脳内射精もの。


ちなみに昨夜久しぶりに水風呂で脳内射精に至りました。
滔々と水、水に私、肺にまで水、そんなイメージがまさに水水しくなったその時。





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首を絞める。
という行為をとても好む。私は。
苦しんでる顔が見たい、というより、私が首を絞めている今その人の様子を観察していたい。
と思う。
最近気がついた事。


別に笑っていたって快楽に耽っていたってなんだっていい、とにかく今私に絞められていく状況、喘ぐそのさま。



そして相手が苦しくなってきたその時に、言葉を矢のように私の口から放つ。何度も何度も。
たたみかけるように問う。
「どうしたいの?」
息も絶え絶えに相手が何かをこたえる、そこまでが私のなかの首を絞めるという行為。






目を逸らした人間に出会ったことがない。





























こちらには見せていない側、見えないものまでも見ようとする浅ましさが嫌い。
自分の内部にある暗いものを、誰かに投影して同調しようとするのも嫌だ。
またその反対に自分の内部深奥にあるものに固執して、他者を撥ね付けようとするのも同じこと。



わかってるのにね。
心は見えないし触れられないからこそ、それをどうにか言葉で表現しようとする事がもうきっと浅はかなんだろうけれど、私はそれを止めない。



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▲それぞれの差違と、その意味がわかる?
そもそも意味があったとして。







見えないものは見えないものとして、見えるものから読み解くしかない。
触れられるものにのみ触れて、それが心まで触れられたと相手が感じたなら、それでいい。





















たくさんのお祝い、ありがとうございました。

33歳という事に全くの違和感がなく、自分は33年間生きてきたという実感が内外ともにあります。


もうあんなに苦しい事は起きない、生まれてきたそれがいちばん苦しい事だっと思って生きてます。


認知が歪みまくってる人間だし、他者の存在があって初めて自分という存在の意味を覚える人間なので、あなたたちに救われてると言っても嘘ではないでしょう。

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ちっぽけでいたい。
自分なんてこの地球で蟻や花ほども生きてない、いつだって月から見下ろされてる人間だと。


安心するから。  
ちっぽけだからこそ、ここにいていいんだっと。












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11月14日。
明日は私の誕生日なの。
大好きな映画の台詞。
毎年この画像は譲れない。

一年で誕生日は一度しかないけれど、明日が誕生日のこの今日現在も今しかないから。




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@manimanium






今日を跨げば誕生日。
明日は私の誕生日なの。





















冷えた空気を肺いっぱいに満たす、冬の夜がたまらなく気持ちがいい。
街からでは小さくしか見えなくとも、冬の星が見えていたらなおのことよい。
心にまで冷たさが伝わるような、冷たいのに夜の情感がふぞふぞと染みわたってくるような。


触れたら冷たい手、温もりを感じる手、乾いた皮膚、湿度のある皮膚、こちらへ意識を向けたと解る肌の感触。


寒い季節は色々なものを意識させてくれ、伝えてくれる。

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私と通じた感覚を忘れた頃でしょう。



























越えられないもの。
それはもう越えてしまったものの事を言うのかも知れない。
私はもうすぐ33歳になる。


32歳を越える時は一度だけ、33歳を迎える瞬間だけで、そこから後はもう32歳を越える事もまたぐこともできない。

不可逆性の話をしていたのだろうか。
暗い落ち込む話をしていたわけでもない。


ただひとつの事実、あと少しで私がこの世に生を受けて33年になるということ。


長いの?短いの?
そこにあなたはどれだけ関わっていたとして、どれだけ私の一部を知り得てると思ってるの?


幾つもないに決まってる。
自惚れや思い過ごしは嫌い。



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私への誕生日プレゼントに悩んだら、これは毎年言ってることなのやけれども図書カードかもしくはステンレスの何かを贈ってください。






























「ほら、私の瞳を見て。そこにあなたが映ってるでしょ?あなたの方には私が映ってる。これがみずうみ。」

そう顔と顔をつき合わせるようにし、私が川端康成のみずうみを説明している時の変態の表情が忘れられない。

喫驚と高揚と期待に満ちた顔。
瞳に映った像を見せる為に顔を近づけただけだったものの、それは彼にとって計り知れぬ興奮となっていたようだった。



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三大欲求を述べてみよ。
食欲、睡眠欲、性欲?
生理的欲求に過ぎぬこれらすら自ら抑制できず、さらなる心の裏側にへばりつくどうしようもない自己承認欲求を如何様に満たせようか。





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東學さんによって私が水月観音になった日。
水月観音は、岩にもたれて水面に映った月を見る観音像。

上の写真は三日月をイメージしたポーズ。
 
私は水がすき。
どんな形にもなれるのに触れると感触の無くなる、本当の意味で掴み所のない神秘性に惹かれるから。
そしてそんな人間でいたいと思っている。
水のせせらぎや雨の音は心を静かにしてくれるかと思えば、恐ろしい水害をもたらす事もあれば鉄さえも切断できる水の威力。

美しいものとは恐れ敬う何かが備わっていてこそ。
山もまた然り。
日本の土着信仰や八百万の神々のお話はとてもとても好き。

さて、そのような美しい観音像になったとて私はいち人間のままなわけであるが、それでもやっぱり水や月を見て美しいと感じる心ある生き物でよかったと思う。

ついでに言えば私の好きな月は、真上の天辺に位する小さな月。
三日月であれば童話的で安心するし、丸い月であればここが宇宙の底なんだっと安心する。

いつでも自分なんてちっぽけな存在だと思い知らされていたい。
だから不必要に恐れるものなどないんだっと。
ちっぽけな蟻が巨大な象を恐れる事のないように。



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でもほんとうは、もう死んでしまっている星の方が好き。







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