抒情
I love Me
ひとりでいられること。
絶対的に一人では生きていけない。
自分ひとりでは、自分の存在そのものを認識できないと言っても過言ではないから。
誰か他者がいて初めて、自分という外郭を捉えられる。
誰かの両の目を通してでなければ自分がわからない。
誰かのこちらへ向けられる思いでもって、自分の存在を確かめられる。
それらはとても安心できる事。
私、これでいいよねって。
それゆえSMを生業にできている。
私を私の存在そのものを、変態やマゾ諸氏は希求するから。
快感以外のなにものでもない。
プライベートにおいてもそうだけれど、
「私の事、好きって言ったでしょ?」
呪いのようにその言葉を呟く。
特定の誰かに対し、自分の思いどおりにコントロールしようとしてしまうことが既に私の性質である。
またこの世界には他者に操作されることに居心地の良さを抱く人間が存在するからして、ここにも私がSMを生業とでき、そしてSMを愛する理由がある。
しかしただ操作したいだけでなく、相手を強い力でもって捩じ伏せたいのだと近頃思い至った。
容易な操作性は言わずもがな、私の強さを誇示できればできるほど、そこに私の存在力が構築される。
わかるよね?
しばらく傀儡堂出勤は、問い合わせ対応のみとなります。
傀儡堂へメール問い合わせか、私へ直接DMくださいませ。
R崎について思い出してみた。
I lost my name
Who am I ?
I lost my home
Where am I ?
But I Can fly high
これは私が中学生の頃から好きな詞。
この写真は去年の11月の私の誕生日のときのもの。
25周年を終えて、龍崎飛鳥との出会いを振り返っていた。
それは七年前の事で、私がまだ大阪のfetish bar ラクリマで働いていたとき。
とあるイベントでラクリマのママだった不破涙さんに「飛鳥さん~うちの新しい子。」と紹介された。
私を一瞥して龍崎飛鳥は一言、「いい感じのカマ顔やな」と。
(恐らく本人は覚えていないであろう)
何故か眉間に皺も寄せていらしたし、
褒められているのか貶されているのか、ただなんとなく褒めてくれているのだろうと当時は思っていた。
その後縁があってバルバラに勤めて五年、今はわかる。
褒めてくれていたのだと。
その縁とは、ラクリマの閉店に伴い龍崎飛鳥に「うちで働けへんか」と誘われた事による。
SMの世界に身を置くことで、水を得た魚のような自由を知ってしまっていた私はSMを続ける事に迷いはなかった。
ただ外から見知っていた龍崎飛鳥からは余りにも恐ろしい強さを感じとっていたので、そんな恐ろしい龍崎飛鳥率いるお店のキャスト達もそら恐ろしいのだろうと怯んでいた。
あの頃の私には自信が無かった。
生きていくに心を細くさせ、精神のふにゃふにゃした女だった。
誰も私を愛してくれないから自分だけは自分を愛する、と虚構の愛に身を沈ませていた。
夜に帰宅しては玄関で崩れ折れ、意味も無く涙する日々。
何か有るわけでは無い、何も無い、何も無いと思わねば生きていかれないその日常すべてが嫌だった。
重い夜に這い寄られては寂しさに自分の肩を抱くくせに、朝がくることを呪っていた。
暗い自分だけが浮き彫りになる、あの白い朝が嫌いだった。
今。そのようなうんざりする朝を迎える事はほとんど無い。
むしろカーテンを開いて日光を浴びてセロトニンを脳内で踊らせている。
年齢を重ね経験が自分を強くさせたことも大いにあり得ようが、龍崎飛鳥のもとで働いた事が私の内なる何かと化学反応したとしか思えない。
お世話になった不破涙さんを否定するわけでは一切ない。
(優しさと気怠い艶を纏った涙さん、今でも大好きです。)
さて。
いざバルバラへ入店してみると、龍崎飛鳥とはバルバラと傀儡堂のオーナーであり全国に名を知らせるミストレスでありながらにして、鼻フックイベントにて自らがいの一番に鼻フック姿を晒して見せる、私の抱いていた別の意味で恐ろしい女だった。
以上。
回顧録にて。
バルバラ25周年、改めておめでとうございます。
構築。
私の名前を呼びなさい。
好きなの。
名前を呼ばれる事が。
何故って、私は自分の存在を欲しがられている状況が何より好きだから。
そして変態達は興奮してくると皆、一様に口にする。
「亜きら様亜きら様…!」
と。
あの時間、たまらなく私を衝き動かす。
そして最近も、そういった時間と空間を共有した変態がいた。
SNSやDVDで私を認識し、恐らく彼の想像する私の表象が存在していたであろう。
何度も何度も「隣に亜きら様がいる」と喜び恥ずかしがる彼は、まるで芸能人に対峙するようで、それはそれは私の心を気持ちよくくすぐっていた。
あぁほんとうにバカなんだな、と。
想像上の亜きら様、のイメージとは私への期待そのものであり、私はそれをぶち壊すか想像外の実存在でありたいと思う。
有り体に言えば、いつだって崇拝されるかのように求められていたい。
それだけ。
25年。
25年前はと言うと、私、8ちゃいでした。
8才。この世に生を受けてたったの8年。
しかしその8年の間にしっかり私は厭世感を育ませていた。
自分と他者との間に完全なる隔たりと違いを自覚していたし、その理由もはっきりしていた。
世を憂うとか大層な事ではなく、ただ自分という小さな世界が嫌いだった。
自分を取り巻くそれらも同じ。
今だってそうだけれど、この人の世はあまり好きとは言えない。
でも幼い頃も今だって、この地球という世界は愛してる。
抜けるような青空と白い雲を追うように眺め続けたり、水たまりに映る逆さまの世界に夢中になったり、誰もいない夜道に月にさえも怯えたり。
ただずっとある、あり続けてる、気の遠くなるくらい自然とそこにある自然そのものたちをとても愛してる。
というわけで。
25年の重みを思いながら書いた文章はそれとして、
バルバラ25周年の記念イベントへいらっしてくださいな。
特設サイトです。
http://www.bar-bara.com/25th/
Akiller
水の流れるやうに。
一年の終わりに。
あまり気にしないけれど、一つの区切りとして。
2020年は新たにはじめるものが多かった。
初めて経験することや初めて触れるもの、新しく目覚める何かもあったかもしれない。
今のこの時代、禍と呼ばれるこの時じゃなきゃ有り得なかった事もあった。
必死に生きてるはずなのに足元からごぼごぼ溺れいく感覚、息苦しい、視界があやふや、曖昧な現実感、濁った空気が纏いつく。
不安と不安定に惑うた一年だった、それだからこそ繋がりに安心したり、自分の存在価値を確かめるように生まれた日のお祝いに感動したり。
私を愛する人達へ。
私を愛してくれてありがとう。
私の感情に波が立った時にはあなた達の身体と感覚と感情を犠牲に差し出してください。
次の一年はどうしようか。
冷静に落ちる前の一騒ぎのところを目指してたいな。