亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

抒情


よく出前をする中華料理店の出前担当のおじいちゃん、それがさぶちゃん。
さぶちゃんはあまり何を話しているかわからない早さで、いつもまくしたてる。
そのうちでわかっていること。

74歳(たぶん)
三年まえの時点で、嫁と両親みんな亡くなった
元気に見えるが糖尿とどこかが悪くてつい最近20日間入院した
一人称がさぶちゃん

ほんとに元気(に見える)し、いつもべっぴんさん言うて楽しませてくれるから
ほぼさぶちゃんと話すために出前を頼んでいるようなもの。

さぶちゃんはいつも言う、
「死ぬのは怖くないが車イスだけはいやっ!!」
この言葉だけはいつもはっきり聞こえる。

元気でいてね、さぶちゃん。

ちなみにここの黒酢団子合えは551とならぶくらいうまい。
のに春巻きはまずい。

ある話。
知り合い宅の水槽にて。
少し大きなエビがちんまいエビを弄んでいて、果てにそのエビ(小)は死んでしまった。
ちなみにエビ(小)は、今うちにいるラスプーチン一家と同じ種類。

一部始終を見ていた私は思いがけず悲しみがやってきて、半泣き垂れ流しながらこう叫んでいました、
「あいつ(エビ(大))殺してよ!!」
もちろん知人は拒否。
自然界でも有り得ることだと至極まっとうな意見にも感情論引っ提げない私のしつこさに、「じゃあ違う魚の餌にする?」と知人の一言。

その瞬間自我をひび割る電撃、のような衝撃をうけた私は首を縦に振ることできず。
愕然とした。
私のせいで誰かが(エビ(大))死ぬ。その責任というか命の重圧に耐えられないと知ったから。

エビでさえ死をもって償う行為を容認できないのであれば、私はきっと、家族が凶悪な殺人犯に殺されたとしても犯人に死刑を望めない。
望まない、とは違う諦めに近い選択のようで鳩尾あたりがぎゅっと痛かった。

いつかにも書いたけど、私はサディスティック性でよく語られるような、誰かを殺したい云々を
欲しない。
命の責任を持ちたくない。つまり後々の後悔や周囲からの責苦や残る記憶を自分のものにしたくない。

どうせならそれら全てを相手に植えつけたい。
殺させたい。

好きすぎて殺したい派の人たちは、相手を自分のなかに閉じ込められるからと天城越えるだろうけれど、 これを逆手に、「おまえの心にいつづけられる」と愛する女に自分を殺させる男の話があったな。
あなたを殺すなんてできないと泣く女に、「おまえの愛はその程度だったんだな。別の女を探すよ」云々の言葉で殺意を煽るシーンが印象的だった、
たぶん悼む人。

私はこっち側のが子宮がきゅんとする。
自分はイヤだけど相手には求める。ジャイアニズムを愛してるし。
俺のものは俺のもの、おまえのものも俺のもの。

そう、涙一杯に溜めた目で「好きです、殺させてください」なーんて綾瀬はるかに言われたら即死だろうな。

なんちってね    





私が形骸化しているな、と感じる時。
目覚めから眠るまで、ただ動くままに時と人々の流れに身を動かされているだけ、カロリーを摂取し排泄する行為に至っては全くの意識下で行われるも同然   。
 
あれ、昨日なにしてたっけ。
 
そう思ったときには今日のことも忘れかかっているに等しいような、そんな気がする。曖昧さ。 
金属なら脆性破壊してるとこ。

だって、日々外からの刺激を受け続けていると、反応が鈍くなっていくもの。
つまり耐性がついてしまう。何事にも。

「足りない」
と体が脳が訴えるとき、それは感受し過ぎている状態なんだと思う。

孔子さんの言葉、
過ぎたるは猶及ばざるが如し
まさにこの意味まるまんまそのとおり過ぎてため息でちゃう、
私個人としては老子のほうがすきだけど、なんにせよすげーーよ。 


07


しばらく考えることが嫌になって、そこから思考を外そうと敢えてしたくもない行為をしたり
結局無駄になる意味のない未来にむけての計画を構築したりしても
頭のすみっこではちゃんとわかってる、やらなくちゃいけないこと。

夏休みの宿題とか、借りたまんまの本を今さら返すための連絡とか、来週に迫った試験勉強とか、先に控える大事なイベントの事とかそういうの。

(今こんなことしてる場合じゃないのに。)
ってな具合に思えば思うほど、やめられなくなってしまう無為な行為。
しかしそういう場合は往々にして、やめられなくなってしまうフリ、が正しいかな。
だって、こんなことしてる場合じゃない行為そのものさえ完成形に至らない。
まるっきり上の空で、思考の隅っこでは(今は考えたくない其れの事)について脳みそこねくりまわしてるだけ。

あぁ、不毛だな。 

欲しいものの一切ない店内を右往左往、焦燥をねじ伏せるべく買い物カゴに商品を投げ込むも、未だ決心できず踵を返し投げ返す商品たち。
つまり店内から脱出して帰途につきたくない、帰宅したくないということ。

極稀に、自宅に着いて一人を実感するのが嫌で意味不明に100均をわたり歩く時、それがそんなとき。

くだらん。
何事も内側にあると思うから、この手でどうにかできるはずだと必死になるだけ。
すべては外側での事だと受け入れるだけの度量なんて、持てるならこんなブログ書いてねーーー。


16

2017年さいごの日、さいごのSM。

まだ一年足らずながら、たくさんの初めての体験をして、新しい感覚を知って得ようとする姿はいじらしくマゾっ子としては優等生。

ピザとケーキというplayがparty状態のはじまり。
けっこうな量のこれをおいしく頂いたあと、最後に吐瀉物として返してあげた。
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なんか、いい時間だったから。
今さら2017年おおみそかの日記。


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んーーたまに言ってる事なんだけど 
自己の内面と向き合うこと、深い奥の柔らかいところらへんまで。
私はこれをよしとするし、触れるだけで痛いと叫びそうな疑心暗鬼ちゃん達が嫌いじゃないから。
そしてそういう子たち柔らかいところに触られたがってることがままあるんだろうな。

だってみんなそうでしょ?



43


わるいこはだーれだっ

去年は今思えば沈静と呼べるほどに途絶えつつあった或る出来事が、年末あたりから少しずつ活性化しはじめ、ついにはオナニーひとり芝居を強制観覧させられてる気になるほどに。
めんどくせえ。
サイバー社会とは甚だ絡まった電気コードの渦。

びゅんびゅん生死を掠める信号が行き交うも目には映らない世界。今の世の中。
一時停止。できれば暫し停止。
背後から撃たれるだけならまだどうにかしようものを、もしも遠い窓からの見えない攻撃が行われたとしたら、
もはや誰が敵かわからず、むしろ誰も敵でありえてしまう。

だから身を守るためには
隙あらば喰われかかる世界と見て、いつでも戦闘態勢でいるくらいがちょうどいいのかもしれない。
しかし臨戦状態を示すことは、相手の存在・行動を全面的に受け入れている状態ということになるでしょ。
無言の受諾。

ゆえに私はノーレスポンス。
反応することをしない。無視じゃなく無反応。反応のない状態のこと。刺激として作用させない。わたしの裡で。

2018年型亜きら、沈思黙考。深いところ。潜行。徹底的にダイバーダウンするぜ。
存在ごと完全否定したいところや1ミリの運動エネルギーをも費やさない。
静観。
深沈。沈。静々。


上の話とは別に、ふと思い出に触れたくなってしまったために
終わった関係性の不用意なところで再度傷を負ってしまった。
私の2018年早々、フレディも夢から出ていきそうな悪夢まがい。情けない。

楽しいこと嬉しいことももちろんありました。
内緒だけどね。
このブログは私の情動、感情のおすそわけ。
感情ジェットコースターと揶揄される私の。

ではさいごに。
はじまりの行方を見失わないことが大事。
少しでも感情が動いた時にはそれを受け入れること。

愉快でない。不愉快とはちがう。面白味のない。底が浅くなった。水嵩が減ったのやもしれぬな。
浅ましいかな、何を言ったところで本人がそれが幸せと笑うかぎり、幸せ以外のなにものでもないでしょう。


22




逝った年、2017年。
変化の年だったかも。
内部の。
しかしたくさん学べたこともあるなか、趣味である読書がてんで駄目だった。
年間百冊を緩い目標に設定していて、大体80冊くらい読んでたのが昨年は20冊も読んでないんじゃないかな。
積ん読は増えるばかりなので、今年はそれを消化するしかない。

そう、新しい2018年。平成三十年。
平成三十年、←この字並びが最高、きゅんきゅんきちゃう。
以上の事からも察せられるように、心臓がぶるぶるくるくらい、今年という日々を最高に過ごせるともはや確信しています。
肌にもびりびりきてる、あーーー最高だなっ
と、冷えこんだ朝のまだ暗い世界へ叫んでやりました。快感。
関係ないけどベランダの窓を開け放つ瞬間、がなんか無性にすき。

最高に最高。最高すぎて最高が最高。最高にもほどがある。最高な最高をありがとう最高様。

ほれ。字面にすら惚れ惚れする最高然とした最高たち。

あ、ゲシュタルト崩壊前にやめよ。
今年も亜きらわーーるどへ誘ってさしあげてよ。たぶん。たぶんね。(しかし最高)

私のプレイの進め方というか、段階的にレベルをあげていくとして、
それは煙草税の値上げのやり方と似ているかもしれない。と気づいて2018年。
 
1月中に、再び夜々様とのW女王様イベントを十三にてやっちゃうし 
わたし個人としてはもっと引き算したプレイをしたいかなっと。

詳細は傀儡堂受付まで。

ではいつでもどんなときもムラムラしたときもブレインショックなときも楽しいときも悲しいときも、それを最高なものとして感じていきましょう。
あぁ、これは意味のない言葉だし明日には私も覚えてないかもしれないけど、最高でしょ。

かしこ。


05








サロメちゃんとは
サロメ(Salome または Salomé、ヘブライ語: שלומית‎ Shlomit)は、1世紀頃の古代パレスチナに実在した女性。
らしいですけれど、サロメと言えばオスカー・ワイルドの戯曲が有名、かく言う私も漏れなくすき。元祖ヤンデレ代表に相違ない、と崇拝に近い愛を抱いているるる。 

こないだの誕生日の車椅子つかったショーのときも、ほんとはサロメたんの生首シーンをしたかったんだな。
 
芸術の題材として幾人もの画家に描かれているサロメたん。
▼そのうちのほんのいちぶ。
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▼こちらは戯曲として演じられたサロメたん。
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美しい。
ちなみに我が家にはビアズレーの画集と漫画版サロメもどっかにある。はず。

そして私がこよなくサロメとして心惹かれるのはこれ。
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パスキンは最期の死ぬときまで芸術的ですきだ。


好きな人の首が欲しいかと問われれば、それはイラナイと答えるでしょう。
阿部定のように陰茎だっていらない。

大抵のSM官能小説では殺す殺さないで終焉となりがち。
命を奪ってしまったら、この手で終わらせた事実だけが重くなっていく予感しかない。
奪われてしまった人達からの責苦にも耐えれらないであろうし、
死ぬならひとりで気をつけて死ね。と思う派なので可愛さ余って殺しちゃうってのは自分にはないかな。できない。

とか言いながら、
強い感情でもって誰かを殺したいと憎悪を滾らせたことが過去に一度だけ。

私に死ねっと言われた事のある人が、後年死んだ。自死。
そこにどんな理由があろうと、私が「死ね」と言った事実だけは今もしっかとここにある。

生きてる限り、記憶から消えなければあり続けるもの、というのは
どれくらいあるんだろーね。
残っているものの方が少ないのかな。
あれから増えたものが手から余りあるくらいと思えたらいいな。


いつもPlAYをはじめるまでは、(あれしよう)とか(やっぱりこれもしたいなー)と脳内ワンダーランドかのように色んな可能性を想像して悩む。
そしてそのじかんがきらいじゃない。

私のあたまのなかでは最高なSTORYが出来上がっていて、あとは受容する側であるMゾヒストの反応あるがまま。
 
の、はずなんだけどやっぱり飽くまで予定は未定で決定ではないんだよねーー世知辛い。

はい、ここからSTART!って はじめるわけじゃない けれど、
その地点からすでに未来は白紙状態、
ド頭からぱすんと何もかも飛んでって白紙にRESET.
つまりGOALへと到達したときには冒頭のシナリオは無意味な無存在に。

でも私はそういう、その時の相手や空気の感じによって変化していくナマモノ的なプレイがわりとすき。

そして、以下は前回同様に鞭でもなんでも頑張れば撮影可ぷれいのようす。 

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▲手にもってるものはなにかなー


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▲これはさいごかな~
 慈愛の精神があふれだしてるね


捕縛されて、動けない状態、状況。
であることに興奮して、ほんとにほどけない事を確認するために縄脱けを試みようとする。

私はそれを傍らに見て、ふごふごする姿を楽しむ。
最高に楽しい。

そんなじかん。
でも、その上からぺちぺちしたり、がぶってしたり。
さらにおちょくる。もとい玩ぶ。

そんなあそびもすーき。

12月になると、焼けた田んぼがすげーエロティックだなと思う。
寒々とした景色、
私の好きな水田は性的さは微塵もない。

来年までのお楽しみ。


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