亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

抒情


自分の胸のなかにある思いを把握できているか。
たしかに、この手で掴めるくらいに。

強い思いほど、突然、裏っ返る。
裏返ったあとでまた強さを保ったままならまだマシで、裏返ったままに萎んでしまう強さゆえの反動もままある。

萎んだとて、すべてを受け流せる己の精神力なら問題ないかもしれない。
萎んでしまったことへの未練を抱えたままでいると、精神衛生が荒むのであろう。

つまり、やはり、常に今の今を感じ入り続けるということ。
逃さず、逸らさず、振り返らず、追いかけず。

でもなかなかどうして過去というものは大きいのだろう。
明日になればこの文章も過去の産物で、私は一ミリも振り返らない。

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美しいビオトープ。
自然のままに生きられるというのは、飼われながらにしていかに矛盾を抱えた命だろう。
そういうものすべても私は愛したいし美しいと思っていたい。嘘じゃなく。







今日、久しぶりに雷の音を聞いた。
とても胸に響く音で心地よかった。

十代の病院に入院していた時の話。
昼食のあとこっそり敷地を抜け出て、近くの公園で木々を見上げてた。
きっと今と同じような季節で、新緑の深い季節だった。
雨がすでに降っていたのか、突然の夕立だったのかは覚えていないけれど、とにかく雷雨がやってきたのだ。

木陰にそっと踞りながら私は、あまりの勢いに「地球が怒っている」と強く感じ、そして
「もっとやれ」と思った。

雨の匂いと冷たい温度、空を割る雷の力強さ、すべてが恐ろしくすべてが愛しかった。
また木々の緑に守られている感覚が、私の気持ちを安堵させていたのも良かった。

あの日の午後がもうひどく遠くなった事さえも愛せたら。
決して戻りたくはないけれど、今は純粋な感覚であの日と同じように雷雨を感じられるかと問われれば、絶対にできない。

今もこうしてあの日を思いだしているように、あの日の雷雨、があればこその感受でしかない。

初めての感覚、記憶、というのは一体どれほどの衝撃を私たちに与えるのだろう。

それと対義する耐性や慣れや惰性、安定と刺激。

あぁ嫌だ。
いつまでも欲しいものだけを欲しいと駄々をこねていられたらいいのにね。

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今日の世迷い言。
雨がぜんぶ洗い落としてくれますように。












変化して移ろいいったあとまでも、記憶は残る。
記憶だけは変わらず在り続ける。

そういう事を考えていると、どんどん沈んでいく。
床に横たわる身体なら床の方へ下方へ。
シーツに仰向く身体ならシーツの底へ。

どこまで沈んでも自分の裡でしかない、と気づいて自分の愚かさを呪う。

今の私は内に向けたエネルギーが強すぎる。
外へ発信するには水田のパワーが必要なようだ。


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撮影 by manimanium


思考をやめない。






今夜も今夜とて草野マサムネに胸焦がしながら言葉をつらつらと。
私の文章を好きだと言ってくれる人たちが少しでもいる事が幸い。
理解を強要することはしない。絶対に。

たまに指摘されるのが、文章から想像する人物像と実際の私には差があるらしい。

しかして、私の人物像とは。 

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▲これだってわたし。

▼これだってわたし。
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と、まぁ最近かなり熱量のあるお手紙を戴きまして。
私への思い、と言うよりは、私の感性に対峙したその人の感性で言葉が綴られていて非常に面白かった。

何より、私の大好きな映画、エゴンシーレ死と乙女を鑑賞し、さらにその感想を添えてくれていたのがひどく嬉しかった。

しかし時に、誰かの日々や思考に私が影響していると考えると怖くなるときがある。

私など取るに足らない存在だっと思えていないと宇宙と神様が怖くなるから。
この地球に生かされている、
(長くなるから割愛するけど)すべてのループに連なる一個だに過ぎない、と思っていたい。

ただそんな私のささやかな発信を受信してくれる人々を私は嫌わない。決して。

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Thank you 



てんとう虫のサンバが死ぬくらい好きなんだけど、これを聴くと、ひとりぼっちになる前に死ななくっちゃ。
と、思わせられる。
幸せなうちに。

森の教会で鳥や虫たちに祝福されながら、二人っきりで結婚式をあげたとして
その最後に私は突然死するくらいに幸せだろうっと想像しながらこの曲を聴く。

乙女であろう。
全く結婚する予定もなければ、結婚に夢を抱いてるわけでもないけれど、森の結婚式にはロマンを見ている。

子どもの頃に、雲や天井の染みを色々な顔に見立ててはたくさんの物語を頭のなかで描く脳内一人遊びをずっとしていたからか、あたまのなかが本当にゆうえんち。

私は自分の内面世界を嫌わない。
この世界のなかだけで生きていたかったけど、それでは全うな人間社会から疎外されると知ってからは、他者の内面世界との触れあいを良しとして生きている。
つもり。

これをアウトプットする手段として、絵や音楽や某かのクリエイティブな行為を選べる人々が時に羨ましい。
憎悪に似た気持ちでもって。

私にはそれが叶わず、こうして言葉を落とすしかない。

SMは性の解放であるがゆえに、私の内面世界を通した一種のアウトプットと言えば言えなくもないけれど、そこまで重きを置いてはいない。
ただ楽しければよい。お互いに。

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↑精子にも似た水滴の散る、それがこの二枚の写真が好きな理由。





初夏の風感じる肌に心地よい季節ですね。
心にも。
新緑と青空の色彩のコントラストは、見ていてとても気持ちが良いです。

しかしそれとは裏腹に、明るい、明るすぎる青空を目に映せば映すほどに、自分の内側で暗ずむ何かを抱く、そういう生き物が私。

過去を引きずるとよく言うけれど、私は過去に引きずられている。
そんな思いでずっと生きてきたものの、ここしばらくはそれが、過去を内包した現在を歩けていたのだ。

ところが、ふとした時に不覚にも思い出される何かのいつかの瞬間。
即座に過去の自分と映像が戻ってきて、まるでそこにいると感情さえ生々しく甦って感傷に凭れる。
あぁ面倒なことこの上ない己。

内包されたはずのものが、澱か埋火のように残ったままでいるんだろうな。
誰にでもある事であろう。

しかもそれは悲しみばかりじゃなく嬉しい感情にも等しく起こり得る。

あの時の感動をもう一度、ではないが、再び経験できる思い出、とすれば悪いばかりじゃないかもな。

そんな風にいつも、景色や匂いや街音や群衆を感じながら歩いてる。

夜の散歩を久しくしてないな。
煩雑な街でこそ誰もいない夜の道をひとり歩くことの意味が見いだされると言うもの。
元より静かな街である京都では、ただ風情ある夜の散歩に成りかねぬ。

自分の存在が浮き立ちすぎる。
たまにそんな気分にさせてくれるから嫌いじゃないよ京都は。

まだまだ出会えてない縁があるだろうに、私はしばらくここにいます。


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約束しなくても会えるよ、という魔法のコトバを私は信じていたい派。

5月12日から14日まで東京に行きます。
12日と13日は予定が埋まってるのやけども、14日はプレイ受付いたしますわ。

私に直接連絡戴くか、傀儡堂までお問い合わせあれ。

クリムト展に行くのがいちばんの目的。
そして我が妹の働く六本木ドルチェにも遊びに行くつもり。
初めて。

一緒にドルチェ行きたいなんてお人も、連絡くださいな。

東京は怖いところやけども、意外に自然が多いし、東京に行くまでの新幹線からの眺めで私は脳内射精できるから。

いやまだ水田の景色には早いから、射精までは行かないかな。
しかし長浜のFUJITECが私を待ってるのだ。
FUJITECの研究棟を見られればそれだけでも幸せ。


今の私は申し訳ないくらいに自分の外観を好きになれない。
もちろん努力はしている。
まだまだ足りぬのだ。それだけ。
私を求める人がいなくなったとしても、私だけは自分を見捨ててはいけないと思って生きてるからこそ、
自分の内面性とそれを映す外界は愛しているかもしれない。

どうせ死ぬときには、何も持たず死ぬものだから。
私は棺桶に入るときには、タトゥーを纏った裸のままでいたい。


そんな初夏の真夜中。




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唐突だけれど鰐の求愛行動とは、お互い泡を吐きあって興味を示し合うらしく、その光景がとても神秘的だったので鰐をちょっぴり好きになった。

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▲肝心の泡の光景が撮れなかった


言わずもがな、私は水を愛していて、水泡(と書いてみなわと読む)ももちろん愛しているから。

常々鰐のいない国に生まれてよかった、と思っていたけど美しい交尾だなと思ったという話。


水、できれば小さな池や川へ、小石をぽしゃんと投げる。
上手く落とすことができたなら、ドボンといい音鳴らしながら石は沈み、ぶくぶく小さな泡を吐く。
水面にわんわん、とまるく広がる波紋。
そして波紋が消えて、まさに水を打ったように静まる。
そのさまをずっと見ていたくて、何度も石を投げ続けたは日曜日の午後。

心のなかでは、宮沢賢治のくらむぼんを思いだしながら。

初めてのトレランに挑むため、兵庫は宍粟市に行った先で出会った小さな水景でのこと。

これからの季節、新緑は緑を濃くし、水は陽射しをキラキラと反射させ、生きものたちは騒ぎはじめる。

水田が待ち遠しい。
今年はどこの川や水田へ出かけようかな。


暑さに弱く夏が苦手な私だけれども、春の憂鬱さよりは幾らか生命力溢るるはず。たぶん。












SMプレイにおいて、ひとつの記録として写真に残すことはあるけれど、あまりそれを要さない時間の方が私は好きだ。

写真に残してほしたがりちゃんは別として。

没頭、夢中、死にもの狂い。
Aの状態からBへ、Bの形からB'、またそこからQの状況へ。
と、どんどん変容していく相手の姿形を、この手で化学変化させねばいけないし、捉え続けなければっと思っている。

難しいことよ。

水の流れのようにさらさらと容易に変化していく相手との時間ほど、写真はない。
記憶が物語る。いつか。

しかし、難解であるフリをしていると揶揄される私のこのブログやTwitterを見てます、と伝えてくれる人達がいる。
(私が)何を発信して、(誰かが)何と受信するか。

誰かに見せたい色と、誰かが見る色とは確実に違っている。
だけど一度飲み込んだ人が噛み砕いた私の発信したもの、というのはなんであれ愛しい。

水も止まれば腐ってしまう。
昨夜、暖かくて冬眠から目覚めたであろう蛙が一匹、ひっそりと鳴いていた。

水田の季節が近い。

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今年のGWの消化の仕方、十連休って、人々の活用法が知りたい。
私には関係ない話。


無駄に、ほんとにただ無駄に色々なもの、感覚や感受性が敏感な私は、悪夢をよく見る。
金縛りに遇い、恐怖を人一倍感じ、また質の悪い眠りにつく。


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しかしながら、悪なほど敏感なために、それが良い働きをすることもある。
水でイケる。
それはまさに静かな性的快感。

それと同等するものに、私は音楽でもイケる。
脳内が「気持ちいい」に浸される状態を、脳内射精と私は呼ぼう。

その時の精神心理にカチッとハマる音楽に出会ったとき、私はワンリピの女王または鬼と化し、延々と一曲のみを聴き続ける。

そうすると、自分の心象風景に落ちていく感覚を味わう、道を歩いていてもバスルームにいてもどんなときも。

どんどん裡に沈んでいくほどに、脳内へ背骨からぞわぞわと何かが這い上がってくるように、静的快感。

ひどくダウナーな。

そしてまたカチリと音楽が自分とズレる時がきて、再び合致する曲を求める。求め続ける。

なんだか、上手く文章で表現できなかったのでここらで諦めようと思う。
ただ一つ言えることは、その時私は濡れている。

雨の春の世迷い言。

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photo with ACO

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