亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

抒情


仲が深まって、相手の表面的でないパーソナリティを知れた時、
心を開いてくれたってわかる瞬間ってなんとも言えない嬉しい感情が胸を衝く。
安心というか、なんだろう。
極端に誰か人間の感情発露の様が好きで求めるようになると、SМ世界へようこそですが。

要は『心をひらく』=気を許すとか信用とかそんな類いと似たもの、かな。

私達SMプレイにおいて女王様と位置づけられる人間としては、プレイによって相手の潜在的なナニカを開いて引きずり出せたら最高の上位でしょう。
実際、私は自分の描いたとおりの手によって、相手の感情までを操作できたと思える時がプレイ至上幸せかもしれない。
もちろん長い時間をかけた長期スパンでの話。元スプリンターだから長期戦は苦手なはずなんだけど、SМ七不思議の九つ目。
 
しかしそう簡単でもないのは周知の事実であって。

M側の人々は、相手に身を委ねるという受動的な行為のみ。
そこにどんな手が加えられどんな化学変化となるかは、様々な要因によって左右されるものでしょ。
ゆえに相手にどれだけ心を反映できるか、またはそうなっても構わないと思えるか、自分の側の心に嘘つけないと思うね。
同じ相手、同じ場所、同じ方法で再び試したとて、導かれる結果まで同じものとは成り難いのが世の常無常なる。
かと思えばあっさり発生するマンネリ化現象。

いかような時々も、お互いの、二人の心の状態がひどく影響するゆえに正解がないのでせう。人による。個体差。パーソナリティ。
なんと便利でこれ以上追及性の不毛な言葉などありましょうか。
心の具合も体の具合も、それぞれがそれぞれを感じている。
そんな世界。
なんで月は青くないと言えるのか?と愚問からはじまる休日思考の渦。
だって相手の心が開いた瞬間は分かったとしても、自分の心が開いた音なんて聞こえないし分からない。
開いたところで空っぽのガランドウだったらどうなるって言うのよ?とかなんとかもはや魘されながら堂々巡りの脳内思考でぐるぐるぐるぐる。渦。
渦というのはねぇ、水槽のエアレーションの水泡を追いかてると、ずっとそこで一点のみ、くるくる終わりがないよう。

ここで横道しますが、堂々巡りと見ると、いつも日本三大奇書にあげられるドグラマグラであった堂廻目眩って言葉を思い出す。
目が眩むという言葉がすき。
目が眩むと言えばムスカ。又の名をロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ。

そのムスカさんは物語において他人を少しも信頼せず、自らの心を誰かに開くこともなく、失意のままに目をやられてしまいました。
そうつまり心を開けばラピュタはそこにある、と。

それほど心を開くとは大事であるという話。殊更に。いやはや甚だ胡乱か不明瞭、しかし後ろ髪惹かれ隊。

※上記の文章における正確性や信頼性については個々人の心に起因するものであり、確かな将来の結果を保証するものではありません。

詳しくは傀儡堂まで。あはん。


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▲とあるメンタルヘルスクリニックの御言葉。簡潔かつ素敵でござんす。




日頃、水槽のメンテナンスをしているとふと思う事。
例えば水草の切れはしや糞の掃除。
水槽に手をいれる。
えびちゃんや魚たちからすれば、大きな物体が上から現れるわけだから、自分の世界に置き換えてみればそれは恐ろしいこと。
だって、空から大きな物体が現れると等しいわけでしょ。こわや。

また、例えば水換え。
五分の一ほどの水を抜き、同じだけの新しい水を足す。
そうする事によって、水槽の中の水質を一定にするのが目的だけれど
反対に、良くない変化を起こしてしまう場合もある。

それを自分の世界に置き換えてみれば、誰かによって世界にある物質に手を加えられるって事だから、それってつまり神に等しい。
っとふと思い当たった。
思ってそして怖くなった。

この水槽のなかの子たちにとってすれば、ここだけが世界なんだと気づくには今さらすぎる事も
私の行い如何によって左右される小さすぎる世界だっと認識する事も。

だって私は最近、おなじように水槽のなかにはいりたいなと大した意味もなく想像してみるくらいには、
この小さな世界の住民たちを愛してるのに。

そこで誰かに飼われたいとは思わない。
水槽のなかで飼育、って言葉はSM的に見ればとてもフェティッシュに感じられる。気がする。
それでも結局観賞する対象としかならずに、ごく一方向側にのみ満たされ得るエゴイズムな行為となるだろうな。

つまり観賞魚と同じ。
私がいくら愛すると称したとて、それ故にいくら愛をかけて行ったとて、
魚達には届かないし伝わらない。

そうである以上、一方的なオナニー行為でしかないと私は思う
そして悲しくなる。

私たちは、魚にはなれない。
さらに、お寿司はおいしいもの。


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自分の気持ちを相手に伝えるのが下手なMゾヒストの皆さまおはこんばんちわ。

自らを曖昧に甘やかし、自分以外の誰かに外側から律してくれる手を差しのべてほしい、そして救われたい、そんな類いのM属性を代表するY田。 
今目の前で家具になろうと踏ん張っているY田。
そもそもが自分の感情を杳として捉えられず把握できていなかったY田。

見過ごしたままでいられなかった為に、プレイ後の感想を言葉で伝えるレッスンからはじまった、感情の行方を追い求めるY田の心のスケッチの旅がありまして。  
 
今現在、初対面時と比べると心の解れ具合に成長を感じずにいられない。
素直に感心する。

手紙として綴られた文章とはまた違う、より生々しく自然的な心の侭に認められたY田の手記がここにある。
私はこれをとても興味深く、またぞくぞくしながら読んだ。楽しんだ。

それが以下。


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最後にプレイした次の日から

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▲プレイ前日の日までの日記。



夢かわいいってこういうことじゃない?


三月中旬、バルバラ社員旅行にて城崎へ行って参り候。
ご存知のように現在アクアリウムに夢中な私は、川面やお寺の池の水景に心ときめきMAXでした。
なのでそれにまつわる話だけをさっと。

大前提として、わたくし亜きら水を愛しんでおります。
どんな形にもなれるのに、触れたら感触のなくなる水が愛おしい。もはや慈しみにも似た感情。
そのような水とおなじく透けていたい。
水泡/みなわ、水底/みなぞこ、とか字面も読み方も美しい。

して、城崎にて極楽寺とあると知るや、「厭離穢土、欣求浄土」とつい軽々しく祈ってしまう私が心惹かれたのは言うまでもなく。
調べるとうちのばぁちゃんの信仰する宗派と同じで、これは縁があるなと足を運ぶことに。

一応枯山水の庭があるけどそこは割愛。

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△入ってすぐ迎えてくれるため池?
この鄙びた雰囲気がもう最高。

▽そして浪切不動尊らへん。時期が来ると蛍も見れるらしい
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▽苔むす岩石ってぐっとくる、
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△なんかこの木は、救いの木か願いを叶えてくれる木か書いてたけど忘れた。

▽泊まった旅館の庭、ノーコメント。
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▽旅館のそばを流れる川。こういうのが水槽のレイアウトの参考になったりする。
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△志賀直哉ゆかりの桑の木まで歩こうとして断念した道中に見つけた景色。
牧歌的な景色や原野風景に弱いのだ

冬の焼かれた田んぼって、どこか扇情的で私の目にはエロティックに映るんだけど、私の大好きなのはこれからの季節の水田。
  
春は厭うけど新緑の季節は素晴らしい。
胸に満ちる透明な空気を味わえる気がして。

そして水田にも言える事が、新緑と青空とのコントラストがとてもすき。素敵。
あんなにも地球という世界の色彩を美しく表現しているものってないと思う。(たぶん。Maybeね)

そのなかで、ごく日本らしい風景として私の心ときめくものが、山々を背に流れる川と青々とした水田。
それを眺めると、安心する。

またそれらを見ることができるのが奈良県。
奈良の人の手の入っていない、原始的な自然を私は推します。

奈良への電車旅が待ち遠しい。
まぁまだそんな予定はないけど。
ただ例年五月は父に会いに行くために奈良に行く事が多いので、今年も行くだろうと心のなかでは計画してる。
もちろん、計画は予定であるがゆえ未定であり決定ではない。


あぁ、話が逸れすぎたところで、
私の心惹かれる水景についてでした。
 

△おしまい



今、春にざわつく私の胸のもやもやを晴らすための特別コースとして悩乱なんちゃら、ってのを実施しとるわけですが。

これが説明文を読みさえせずにぬけぬけとやって来るマヌケはこの際無視して、一応はコースの詳細に目を通し、電話口でも受付スタッフから再三説明されたにも関わらず何にも解ってないアホがままいることにもう至極驚愕でございます。

馬鹿なの?否馬鹿なんでしょうね。そうでしかないでしょうね。
怪我するかもしれません、ストップした時点で私は退場する、とまで謳っているのに。
さらに安い金額には何が理由があるんだろう、と少し脳みそ回せば想像できる事があるでしょうに。
そんな君は脳みそ精液で溶けちゃってる。

もうただただ自分の性器が反応するだけに都合よく理解し、現実的な事象を無視して仮想現実に逝っちゃってる。
そんな事ぜんぶ悪いって言ってるんじゃないよ。
そこまで夢中になれるものがあるって素晴らしいし。 
ただ、何でもそうだけど状況に応じた理解力と適応力って必要でしょ。

もしくはそうであろうとする努力。

その点、昨日やってきたマゾはチビハゲデブの典型的過ぎるいかにも哀れな奴だったけど、
自分が忍耐することで女王様が笑顔になれば嬉しいしそうなってもらう為に来ましたって言ってて、その気概はすごくいじらしかった。

だから終わったあと、ほんとに気が晴れてスッキリしたしがんばった分の等価もあげたつもり。
もしも二度と会えなかったとしても、たぶんずっと記憶に残ってるであろうと予想される。
これぞ一期一会の醍醐味、かな。

そういう考えでいろって強制はしないけど、せめて「なぜ?」か、「何の為に?」と問うてみなさい、解けるか解けないかは対峙するまでさほど重要じゃない。

なんであれ、自分じゃない人間の思考なんて推量するしかないんだから。
ただ自分の思考から踏み出して外へ行動すると言うのなら、少し脳みそについた精液拭いてからにしようね。って事。

「~だろう運転」じゃなく、「~かもしれない運転」しなさいって教習所でも習ったでしょ。
「ここから人が出てこないだろう」
と、
「ここから人が出てくるかもしれない」
のどちらが危機管理能力の優れているかは火を見るより明らか。

「ここから人が出てこないかもしれない」なんて希望的観測のもと動く奴がイタイ目に遭って遺体になるのでしょう。

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ああ、頭でっかちになったそのときは、思考を一度停止させて精液と一緒に流せばいいんじゃない。

▽おしまい


自ら言わずとも、「察してほしい。」
これ、人間の3大ワガママのひとつです。

また日本の文化というものがそのへんに繋がる奥ゆかしさがあって、殊更面倒なことになっとる。
慮る、だとか
行間を読む、だとか
秘すれば花なり、だとか。

メンタリストさえ疑わしい事この上ないっていうに、なーーんのヒントもなしに、(あ、本人はヒントを醸し出してる気になってる事が多し)自分以外のヒト一人の胸中を読み取るなんざ無理。無理無理無理無理、
無理。だからこそ、言葉があるんでしょうし、無理だと前提するがゆえに推察するんでしょう。
言葉があってさえ、伝えるという行為の容易ならざるや言うまでもない。

そこを甘えた態度で、いつでもなんでもかんでも「察して察して、てへぺろ」と、これでもかと己の性癖であるマゾ性を引っ提げ、まるで印籠かの突きつけるだけで相手に伝える努力を一切合切怠るおっさんMゾヒスティックな人間、少なくない。いるよ、うようよいるよ。きもい。

もちろん、私たち側も必要最小限の情報から彼らの要望なりリビドーなりを読み取れるかと幾らか見積もりはする。
その測量がぴったしカンカンできてたら最高だしできる方もいらっしゃるでしょう、どこかでは。

しかし、察してちゃんぶるのみならず、何を恥じているのか守るべき何かがあるのか、欲求や本心を隠そうとする輩までいるんだから冗談はよしこちゃん。

ほんとに、新しい景色が見たいならそこへ行くために手を導いてあげるし、その為の新しい靴だって用意してあげる。
なのに、
自分とこのドアを閉めたまんまじゃ、どこにも行けない。でしょ?
ぼけっと立って閉じたドア見つめながら、「僕ちんの心中察して」と足の指らへんで訴えてるやつ、悲しいかな。ままいる。

口が裂けても自らの要望は口にせず、いつ何時も女王様の成すがままてを全て享受できているんだったとしても。
忘れたらだめ。
云わなくちゃわからないことがあること。
言いたくないこと、知ってほしいこと、判断してほしいこと。
自分が言いたくないのか、相手に言いたくないのか、なぜそう思うのか。

心が欲しがっているものを見極め、それがエロだろうと変態であろうとひいては精神的充足となるそのマズロー、
すなわち欲求を行為へと実現させる為にも、大切なこと。
相手に伝えるということ

私は感情で相手を引きずりだす作戦を敢行する時もあるけれど、感情と感情で反応しあうというのはとても疲弊するので、これからはいつだってフラットな女を目指そうか。

Flat Emotion.
否、およそ無理かな、私からセンシティブを奪ったらタトゥーしか残らないものねえ?


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プレイからプレイ後において、感情の行方を追うように、と私はよく口にする。
しかして、今手元に一冊のノートがある。
M男の感情を日記として二カ月間綴った記録、非常に希少なこれを噛み砕ききってやりましょうね。


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春は憂う。
きらきらした春光や陽光なんて最悪。

どこかで春の日の嫌な思い出があるんだろうと思う。
それを思い出したくないのに、もう少しで思い出しそうな気持ちにさせられるのが春。
それは子どもの頃の淋しさに似た焦燥感で、だから私は今年も春を嫌う。
毎年毎年のこと、しかし「春が嫌いだ、憂鬱だ」とまるで呪詛か気が触れたようにひとり嘆いて喚いたとて、春を遠ざけられた試しがない。
我ながらそろそろ春を憂鬱気味に傾けるメランコリーがうざったいお年頃、
つまりもはや様式美と化した春がキライ病へようこそ。

そんなメランコリーを分かりやすく表現してくれているのがこちら↓

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で、だからって春に負けるのは嫌。少しでも春を(受け入れ)慈むために、
春に纏わる作品を読むこと。
これがいわゆる私の春の慣わし。 
とは言え、いつも読むものはだいたいおなじ。
坂口安吾の桜の森の満開の下、これは必ず読み返す。
春がくると読みたくなるのか、読まなくちゃいけないのか読まずにいられないのか、もはやわかりませぬ。

桜が人を惑わす美しき妖しやの世界。
単純に物語として大好き。

あと萩原朔太郎の自慰的沈鬱詩たちもデフォ、マストアイテム。
活字のうちでもやっぱり私は詩がいちばん心寄せられるものなので、読むのも易しいゆえに最近は詩集ばかり。

春の詩を調べるうち和歌に辿り着いてちゃっかりハマリ中だけどそれについてはまた今度。

詩における表現について、正しい正しくないとか私の脳みそでは足りん知識なので、ただ感覚的に「いいな」と反応するものがあるかどうか。

然して今年は春対策の一冊に宮沢賢治の春と修羅を、久しぶりに読みまして。
あのお人は高度なメルヘン坊やと言いますか、すべてが空想ならまだ追いつける気がするのに日常との境がなくてマジでわからん。
だから天才ってことにしておく。

もうひとつ、春と名のつく作品を漁っていて見つけた竹下夢二の「少年・春」が素敵だった。
絵描きとしての印象が私のなかで大きかったけれど、この出だしの描写から引き込まれちった。
心がぐいって、なる瞬間ていいよね。

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普段の生活のいつでも起こりうることで、食事にも道端にもSMの行為にも、
心ときめくレーダーが反応すればそれは欲しがって然るべきかと。
私は割りといつでもアンテナ開けてるよ、だから色々なものを見誤らないようにしないとだめ。  

相手と自分の化学反応による何がどのようにして、この空間と時間を構築したんだろうってな事を考えてると、気があわない人に対峙するときもちょっぴり楽しい。
し、今日は楽しかった相手と明後日も一ヶ月後もずっと楽しいってのより私は、お互いの心身の調子や具合、さらにストレスなんかの相互作用による差異を、影響違う時間や空間を体感してたいかも。

んーー心が踊ったり震えたり浮かれたり乱れたり、己の心を掴まえるのもできないんだなーー自分の心の行方を見失わないようにっ。


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▼死体ごっこ、のような絵になってて、彼の目が死人みたいでよきかな
桜の木の下には死体が眠ってる!ということで。
春を慈しめるな今年は。
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遅ればせながら、バルバラ22周年が無事に敢行されました。
一重に応援してくらはる皆様のお陰、ありがとうございまし。

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いつもの事ながら、イベントほどあまり写真がない。
11月生まれトリオのいずいず、芦田愛菜ちゃん似のニューフェイスほたるん、そして私とスタイル女王のACOらちお。


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ショーはばんび姉さんとりひぴっぴの3人でっ
とても楽しかった!
派手でカオティック、かつかっちょいいショーを目指して頑張ったのでしたっ

他のスタッフショーや演者さんについては長くなりすぎるので割愛させていただきますが、早乙女裕美さんの切腹ショーは痺れた。震えた。
せつなかっこいい、みたいな。(?)

たくさんの反省点ももちろんありきだけど、今年もあの場にいられたことがまず幸せ。
そしてあの場を作り上げてくれた皆々様に感謝。


周年後と安心して弛んだ身体をそろそろ調教せねば。




たとえばそこらへんを歩くだれか見知らぬ人達を捕まえて、
「SMと聞いて連想されるものは?」と問えばきっと、さして悩む間もなく返されるであろうその内容たるや、目隠しや手錠、全身黒に身を包んだハイヒールの女王様と鞭!
…とい事となるだろうとこれまた容易に予想していたのだが。

それはつまり抽象化されたSMのイメージが、所謂SMグッズと切り離す術もないものとして既に皆々様の裡に出来上がっているってことでしょう
ひなまつり=金平糖のように。

隠微さや後ろ暗さの皆無であるSMプレイ
あらゆるものの普遍化する速度というか世の流れが、400m競走のそれと同等くらいに思うこの頃。
つまり現代人の形態が、
人間の

容易く手にしたものは容易く失われていく、因果的に。 
それこそ気軽に色んな人と繋がれるSNSは、まさにお手軽な縁のはじまりと終わりの坩堝かに思えてならぬ亜きらです、こんばんは。

もうすぐ春がが来るとは関係のない
話で、
遡ること数百年。17か18世紀のフランス革命とかそのあたり、ヴェルサイユ宮殿だのバスティーユ牢獄だの、薔薇も気高く散りそうな、飽くまでおフランスで生まれた物語。

ソドム百二十日に描かれたサド侯爵の精神か欲望が、依然として現代的なSMプレイの底流をなす一方で、あれ以上のSMは生まれていないんじゃなかろうか。知らんけど。  

灰ずんだ古城と同色の土壁、天井から吊り下がった鉄の拘束具。
これらは西洋のBDSMと聞けば連想されるイメージ、つまりしょっぱなに植えつけられたサド侯爵による印象そのもの。
少し脳内にちらつく血の侯爵夫人物語は片隅に押しやって。

さて 物々しい雰囲気から漂う嗜虐性、マゾ側からすればこれから行われる責苦や展開を予想し、ひいては知った快楽をも覚え得るエロティック性。
こうした観点では、場所に姿格好といったシチュエーション、そしてずらりと並んだ凶器の数々(所謂SMグッズ)。

それらを目にしたマゾ側の記憶か感覚が反応した時が、SMのスタートと言えるでしょうね。
そして、 それゆえにSM行為イコール道具ありきだと。
日頃重たいキャリーを引きずってる身としてはYESと言わざるを得ないところだけど、私個人としては道具などなくてもお互いの認識に依ると思っている。

しかし、女王様であるためには道具は必要と言えるかもしれない。
 
道具ひとつない空間で行われる行為もSMたりえる派、に与する私としては、あるプレイに際して少し思うことがあったのだ。

以下は最近あった出来事。 
簡単に言えば突発的に生じたプレイ。
そのきっかけを見逃せば、次はないかもしれない事から決断し、ホテルへ到着するも、そのとき手元に在った道具らしきものと言えばこちら↓
アナルローターひとつ。ボンテージテープ。ローション、以上。
簡素。簡素すぎて寝たい気分に襲われたくらい。
このとき、やはりプレイするとなればある程度の道具を求めると気づく。

試行錯誤しながらコンドームにティッシュや歯ブラシつめて簡易ディルドぶってみたりしたものの、相手のけつまんこが解りやすかったので、指で責めることに。この私の手と指で。
結果、たった私の指二本でメスイキに到達するまでと相成りました。いえー

まじで指吊るかと思ったけど、一度震えちゃうと止まらなくなるのがおちりだもの。

最初数分は道具なさすぎてそわそわしたけど、申し訳程度にボンテージテープで目隠しをしたら、久々の視覚ゼロ感覚も味わい深かったとかなんとか。 
耐性からの脱却、ってやつかな。(テキトー

 最後になったけど、
こちらの「動くな。」の一言が、透明な拘束具を嵌めたように動きを制限する相手の桎梏となるならば、それはとても文学的であると同時に私の悦に入ること。

こんかい、言いたいことの一割も書けてないけどまだまとまらないからこの辺で許しといてあげる。


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春は憂う。
いとも容易く、幼かった頃の懐かしい切なさを体感させられるから。



よく出前をする中華料理店の出前担当のおじいちゃん、それがさぶちゃん。
さぶちゃんはあまり何を話しているかわからない早さで、いつもまくしたてる。
そのうちでわかっていること。

74歳(たぶん)
三年まえの時点で、嫁と両親みんな亡くなった
元気に見えるが糖尿とどこかが悪くてつい最近20日間入院した
一人称がさぶちゃん

ほんとに元気(に見える)し、いつもべっぴんさん言うて楽しませてくれるから
ほぼさぶちゃんと話すために出前を頼んでいるようなもの。

さぶちゃんはいつも言う、
「死ぬのは怖くないが車イスだけはいやっ!!」
この言葉だけはいつもはっきり聞こえる。

元気でいてね、さぶちゃん。

ちなみにここの黒酢団子合えは551とならぶくらいうまい。
のに春巻きはまずい。

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