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生まれたときからはじまっていた。
母親がキティラーだったから。
(キティ誕生は1975年-昭和50年)

いつかにも書いた事があるけれど、アトピーがひどかった幼少時、搔くのを防ぐため両肘にキティ柄の包帯をぐるぐる巻きに巻かれて幼稚園に通っていた。


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▲今は発売されていないようで、ネットから拝借した画像だけど、まさにこれ。

人と違うことを何より厭うていた私にとってそれは、まさに人と違うことの証明のようで心底嫌だった。
幼稚園の頃には自覚していた、私は皆とは違うってこと。実際幼稚園においてすでに仲間外れにされていた女だし、何かが決定的に違っていたのだと思う。

それはさておき、気づけば私の周囲にはキティがいた。
強制的に好きにさせられていた感も否めない。お箸、コップ、トートバッグ、お弁当箱、ランドセルカバー、ありとあらゆる物がキティだった。
小学三年生頃にはサンリオの中でもポチャッコやパタパタぺピーが台頭していたのでそちらに惹かれた事もあるし、高校生になるとディズニーのピグレットやスティッチに心奪われたこともある。
不思議なことに今現在はそのどれらも好きではない。

回り回ってキティに落ち着いたのは18歳頃だと思う。
理由はない。部屋にキティグッズがたくさんあると目が五月蝿いし、ぬいぐるみもアホみたいに持たなくなった。
しかしそれでも可愛いと思わせられるキティ。
口がないことが自分の感情と同調してくれるだなんだと言うが、赤いリボンと白くまるいフォルムのシンプルさが物を言っているのは間違いないだろう。
リボンなんて大好きでしかない。

さらに7年前サンリオに登場したこぎみゅんなる小麦粉の妖精キャラに私はメロメロである。
年甲斐もなく心惹かれ、可愛さに胸がハートでいっぱいになる。

そこにサンリオの凄さがある。年甲斐も時代も世代も越えるのである。
サンリオと言えばイチゴ新聞、可愛さの象徴としてのイチゴらしいが、その理由に苺の漢字には母の字が入っており愛情の源と呼べる母性をも兼ねているといったことをサンリオを設立した社長が述べていた。
(私の解釈違いあるかも)
 
とにかくサンリオの可愛いには確固たる理論と信念がある。
前社長の戦争体験を軸に、可愛いによる世界平和を願っているのである。
可愛いには不穏さがない。可愛いには愛があり愛には平穏と安寧がある。
この薄汚れた人間社会にあって、可愛いは心の救いとなる(ことがある)。

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上記の写真は淡路島に存在するハローキティの基地である。総本山とも呼べるかも知れない。
キティのおわしますところ、愛と救いあり。
ここに行った私の表情の可愛さ。
可愛いさは愛を伝染させるのであろう。知らんけど。

以上サンリオ(教)キティ(宗派)へ愛を込めて。
殴り書き。










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