亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

2021年02月



絶対的に一人では生きていけない。
自分ひとりでは、自分の存在そのものを認識できないと言っても過言ではないから。

誰か他者がいて初めて、自分という外郭を捉えられる。
誰かの両の目を通してでなければ自分がわからない。
誰かのこちらへ向けられる思いでもって、自分の存在を確かめられる。
それらはとても安心できる事。

私、これでいいよねって。

それゆえSMを生業にできている。
私を私の存在そのものを、変態やマゾ諸氏は希求するから。

快感以外のなにものでもない。
プライベートにおいてもそうだけれど、
「私の事、好きって言ったでしょ?」
呪いのようにその言葉を呟く。

特定の誰かに対し、自分の思いどおりにコントロールしようとしてしまうことが既に私の性質である。
またこの世界には他者に操作されることに居心地の良さを抱く人間が存在するからして、ここにも私がSMを生業とでき、そしてSMを愛する理由がある。

しかしただ操作したいだけでなく、相手を強い力でもって捩じ伏せたいのだと近頃思い至った。
容易な操作性は言わずもがな、私の強さを誇示できればできるほど、そこに私の存在力が構築される。




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わかるよね?










しばらく傀儡堂出勤は、問い合わせ対応のみとなります。
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I lost my name
Who am I ?
I lost my home
Where am I ?

But I Can fly high

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これは私が中学生の頃から好きな詞。
この写真は去年の11月の私の誕生日のときのもの。


25周年を終えて、龍崎飛鳥との出会いを振り返っていた。
それは七年前の事で、私がまだ大阪のfetish bar ラクリマで働いていたとき。

とあるイベントでラクリマのママだった不破涙さんに「飛鳥さん~うちの新しい子。」と紹介された。
私を一瞥して龍崎飛鳥は一言、「いい感じのカマ顔やな」と。
(恐らく本人は覚えていないであろう)
何故か眉間に皺も寄せていらしたし、
褒められているのか貶されているのか、ただなんとなく褒めてくれているのだろうと当時は思っていた。

その後縁があってバルバラに勤めて五年、今はわかる。
褒めてくれていたのだと。

その縁とは、ラクリマの閉店に伴い龍崎飛鳥に「うちで働けへんか」と誘われた事による。

SMの世界に身を置くことで、水を得た魚のような自由を知ってしまっていた私はSMを続ける事に迷いはなかった。
ただ外から見知っていた龍崎飛鳥からは余りにも恐ろしい強さを感じとっていたので、そんな恐ろしい龍崎飛鳥率いるお店のキャスト達もそら恐ろしいのだろうと怯んでいた。

あの頃の私には自信が無かった。
生きていくに心を細くさせ、精神のふにゃふにゃした女だった。
誰も私を愛してくれないから自分だけは自分を愛する、と虚構の愛に身を沈ませていた。
夜に帰宅しては玄関で崩れ折れ、意味も無く涙する日々。
何か有るわけでは無い、何も無い、何も無いと思わねば生きていかれないその日常すべてが嫌だった。
重い夜に這い寄られては寂しさに自分の肩を抱くくせに、朝がくることを呪っていた。
暗い自分だけが浮き彫りになる、あの白い朝が嫌いだった。

今。そのようなうんざりする朝を迎える事はほとんど無い。
むしろカーテンを開いて日光を浴びてセロトニンを脳内で踊らせている。

年齢を重ね経験が自分を強くさせたことも大いにあり得ようが、龍崎飛鳥のもとで働いた事が私の内なる何かと化学反応したとしか思えない。
お世話になった不破涙さんを否定するわけでは一切ない。
(優しさと気怠い艶を纏った涙さん、今でも大好きです。)

さて。
いざバルバラへ入店してみると、龍崎飛鳥とはバルバラと傀儡堂のオーナーであり全国に名を知らせるミストレスでありながらにして、鼻フックイベントにて自らがいの一番に鼻フック姿を晒して見せる、私の抱いていた別の意味で恐ろしい女だった。

以上。
回顧録にて。

バルバラ25周年、改めておめでとうございます。












一人一人、内面に物語を抱えている。
たかが性癖と言えど。


一口に呼吸管理が好きと言っても、なぜ好きとなったのか、そこに至るストーリーが多岐にわたるわけで、そこが面白いところ。
非常に。
どんどん語ってほしい。


原因や底流までも根こそぎ私はかっさらいたい。


個体性を識りたい。


ただただ『亜きら様』と欲しがられる事に異論はない。

その私を欲しがる理由として、深い奥までも触れられたと思わせられたら、それは私の脳内が快感物質を放出するに至ること




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@manimanium



春がくるのは嫌。














雨の音は好き。
心地よく眠りに落ちていける時もあれば、まるで誰かの去っていく足音にも聞こえたり、とても叙情的。


そもそも水を愛してるので、水の音がすき。
そのために水槽で魚を飼っているようなもの。
愛しい存在。

いつでも水に浮かぶように生きていたいし、苦しむのであれば水のなかでもがくようでいたい。


いつもそう思ってる。


ふと、また書き記したくなっただけ。



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