亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

2019年11月


2019年も残すところひとつき余り。
私は最近思いあたりました。

来年の手帳を買ったのです。

去年から、自分の型から外れる事をあえて選ぶように生きてきました。
 
結局、どうあろうが自分のした行為は自分へと帰結するだけだった。
それまでの慣習から逸れるだけの事になぜ恐れや不安や億劫さが付きまとうのでしょう。

変化を容易く受け入れる事は人間にとってストレスだという一言に尽きるんだとしても、変化する事だけが正しいわけじゃなかったとしても、
まだしばらくは、私は私の向こうの先にいきたい。


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忘れて欲しいし覚えていて欲しい、きっと正しくは私の望むところとは思い出してほしい。
私を思い出す瞬間を抱いていてほしい。





私はダウナー型人間である。
アッパーな空間にいてさえ、ダウナーへと自分に取り込み浸透させる事ができる。

外へ向けて某か、例えば対人間へと好戦的になるときは、その反作用に過ぎない。

ダウナーでいられないストレス、またダウナーからひとつ横にずれればそれはダウナーではなく、ならばダウナーを求める意味も無くなり、両極端な私はアッパーな行為へと振り切る事もしばしば。

さてここまで述べたところで、潜在的なものと顕在化しているものを、すべて見透すなど意味があるのだろうか?

そしてそれは人間同士のあいだで相互いに見透せるものなのか。

知らぬ。
しかし推し量る、という心理的行為が私は好きだ。

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▲Fucking Lipsである。

私の事が欲しいなら欲しがり続ければいいと思う。
ここでこちらを推し量ろうとする行為など無意味に等しい。

与えられないかも知れない、そう思えば思うほど欲しがり続ける人間は多い。


そういう人々はきっと、危うさのない関係性や行為には飽き飽きしているのでしょう。



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▲いつかの様子。


しかし私はダウナーなのである。







たくさんの方にお祝いして戴きました。
ありがとうございました。

私亜きら、三十二才。
体感として三十二年間生きてきた時間が体の内側にあるから、そりゃあ三十二歳だよなと思う。
強く思う。

だって色々あったもの。
糞あったもの。
7才の私も14才の私も19才の私も、みんな私だし覚えてる。
そしてみんな今の私の要素の一つ。

全てではない。
変わったところもあれば変わり続けていくものもあるし、ずっと覚えてるものもあれば忘れていくものもある。

だけど私なんだな。
自我なんて、自分の記憶をまるごと失ってしまったら無くなるような、記憶の構築と相違ないと思い込んでたけれど
そうと決めてかかるには早計かもしれないな。
まだこの世に生を受けて32年だからな。

長く生きたいとかずっと若くいたいとか望まない。
ただいつか一人ぼっちになったときに、私にも幸せな時があったとひとり思い返すような未来だけは嫌。
絶対に嫌。

たぶん生きていけばこの先、そう思うときが必ずあるから。
恐れているだけ。

怖くない不安がない日々なんてないのにな。



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春のACOちゃんとの生クリームメッシーのやつ。


時が過ぎるのは早いね。
無常を思う。
また私の誕生日がやってくる。

どうと言う事もないのだけれど、ただやっぱりいつか自分が死んだ時には、死んだ日より生まれた日を覚えていてほしい。

ここにきたって記憶だから。

十一月十五日。

どんな形でもいいから私を思い出してくれ。

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どんな形でもいいから私をお祝いしたい人はこれを。






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