「自分がわからない。」
そう言う人がいる。

自分がわからない、フリをしているのだと私は思う。
強く思う。

叱られたい、と望む人がいる。
その実叱られたいのだろう。

しかしその底では『許されたい』と希求する心が叫んでいる、と私は常々思う。

許されることは救われること。
そう、やはり私たち人間はいつだって救われたい。
救ってほしい。
何かから。誰かに。どこかへ。
今の自分であるそのままありのままで。

大丈夫、という言葉の母なる信頼性を私は愛する。

このあいだ、プレイ中にビニール袋を被せた相手が錯乱しかかった。
「怖い、怖い、怖い、!」と半泣きの様相を呈していたが私は言った。

「大丈夫やから。」

その後の変態の彼はと言えば、「気持ちよくなれました」と嬉しそうであった。(完)

ついでに言えば。
私の心を少し衝き動かしたのは、彼が半狂乱の最中に私の言った「大丈夫」を、必死で聞きとめ、信じようと決意した表情。

その目を目で見返しながら、ぞくぞくしていた。

(完)

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救われたいか?
私は救われたい。