亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

2019年03月


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セピアと指一本。
これで痙攣が止まらなくなる。
それだけ。

桜に集る人々に混じられない。
こぶしの花が好き。

川に沈みたい。
水槽をずっと見てると、羨ましくて悲しくて仕方なくなる。

どうしたって人間でいたいのは絶対的に私だから。
人間であるがために性衝動に苦悩するんだと思えば、それを謳歌せぬ以外選択の余地はない。
と、Mゾヒスト達を見ていていつも思い知らされる。

パープルムカデな気分。







一年前の今と同じ頃、自分は一体何をしていたか君は覚えてるか。
私はおよそ今と変わらない、大抵の人がきっとそう。

ただ絶対的に違う去年の自分と現在の自分。
違いとは。
惰性的にSMを楽しんでた。
縄の技術で言えば今の方が手にしたと思う。

色々ごちゃごちゃ脳内錯綜がひどいのは今。
ただ正直に話すと、去年の夏頃まで私は幼稚的に陰鬱を愛してた。
病まいに罹患したがってたと言うか。

ベントス。底に棲まうゴカイなんかの底生生物と相違なかった。
そんな自分でいることが居心地よかったんだろうな。

沼から這い上がろうとしたら、地上へ這い上がるそのことさえ容易でないと気づいて、気づいてはじめて自らの姿を目の当たりにしたって感じかな。

そこからの脱却、いつのまにか形骸化してしまう前になんとか動きはじめて幾ばくか。

あ、すべてはメンタルティックな話とご容赦くださいまし。

水底が好きだから、つい底にいようとしてしまう。
なぜって、底から見上げた景色は、塵芥さえも光にきらめいて美しいと見紛えてしまうから。

光に反射して水面がきらきらする様も美しいけれど、水底へ差しこむ光の揺らぐ様には及ばない。
亜きら的主観。

今年はさらに水を愛し、
そして去年までと同じく、どんな形にもなれるのに触れたら感触のなくなる水のような存在でありたい。

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観念的な話をしないと駄目になるにんげん。







霞立つ春。
物憂いもいよいよ募るばかりの頃、先の夜に初蛾を見かけ、少し心踊る思いと相成りました。
亜きらです。
 
翌日ふと思い立ち、午前の散歩に出かけたところ、ついに桜もぽつぽつと花開かせておりました。
はて景色よりも胸が苦しくなるのは、花の香りがうんざりするほど甘く漂うときだと気づきました。

甚だうんざり。
しかしてたおやかなる桜の花かな。

春って白いでしょ、呆けてるでしょ、惚けてるでしょ。
人々も街も空も。
夕方の、暗い水色に包まれるあの時間だけはこの季節で唯一すき。
さらに胸の切なさはいや増すんだけれど。

感傷的にもほどがある自分に辟易しながら、今夜もまた自分を愛す。

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宮沢賢治の詩でいちばんすき。
心にこんなにも清涼感をもたらしてくれる詩って他にない。

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言葉はいいよね。
言葉だけで濡れることができる私をなんと呼ぶか?





「aegri somnia」
私の体に彫ってる言葉のひとつ。
病人の見る夢。
単純に好きな言葉なので、これは二ヶ所彫ってる。

あえて教えるものでもないけれど、何を彫ってるかたまに聞かれるのが面倒なのでここに綴る。

深い意味はありません。
楽に生きたいがためのおまじない、とでも言えば伝わるかな。

あとは、「まことの安らぎは地上になく」
「私が地中に埋められるとき神は救いたまう」。

それから母の命日と、金子みすゞの詞。

どれも上に記したのと同じ、楽に生きるためと死ぬのは怖くないよっておまじない。 

死生観。
体をキャンパスにしたかっただけ。
好きな絵や言葉に彩られた自分って、最高でしょ?

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どこに何が描かれているのかは、自分の目で確かめてよ。







どうして春を嫌悪するのか、思い出してしまった。
だからなんだって言うのか。

抜け出したい。
飛びはねて
飛びこえたい。

そんな思いに駆られたって、私は私だから。
どうしようもない。
暗がり、暮明、沈みたがり。

この思いを誰かにぶつけたい。
ぶつけるだけでは一方的すぎる行為であるなら、何かを壊したい。



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どこかの掃き溜め。
誰かが誰かの掃き溜めになればいい。













Twitterにも数枚載せたけれど、或る一日に私の個人的な趣味の撮影をしてもらいました。

超格好いい。

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私は我が儘だからなんでも欲しいものならどこまでも欲しいし、かと思えば欲しいものだったとしても欲しがっていない時なら手にしたくない。

要らなくなったものは瞬時に目の前から消したいし、だけど手放したものには私を覚えていてほしい。

忘れたいことと忘れたくないこと、忘れてほしいことと忘れてほしくないこと。
この領域を押しつけがましくも強要する場合もあるし、でも絶対人には強要されたくない。
ジャイアンなの。
俺はいいけどお前はダメ、俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの。
ジャイアニズムを愛してる。

しかしそんな個体性を失くしてしまいたい、とふと考える日もある。
自分を忘れたくなる時ってあるでしょ?
顔面を覆う写真撮影は、この自分への倦み疲れをも内包してくれるものだと感じた或る日の午後。

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戯れ事。
某かからの解放。
どこで自分と折り合いをつけるか、それってSMであろうとカラオケであろうと眠りであろうと瞑想であろうと、手段は違えど皆救われたいと言ったならば、すべておなじでしょう。

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春はあけぼの。やうやうしろくなり往く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる、、とな。そんなの知らねえよ。


春は朧月のはずなのに。
朧は春の季語のはずなのに。
やたらと月があかるくて鬱陶しい。
何度も話してるけれど、私は童話のようにか細く白い三日月か、てっぺんに小さくある月しか許せない。愛せない。
見上げた時に遠く真上にある月には、ここは底だっと思えて安心できるから。
自分が取るに足らん存在なんだと体感できる時なんて少ないから、今の世には。
いや今じゃない世を知らんけど。

承認欲求の主観だらけがぷわぷわ浮いてる、そんな風。
もちろん私だってそう。
ただ目の前の事だけに、自分だけの内側の世界でだけで生きていたかったけれど、社会的な生物である人間として生活していくということは。
他者との協調とコミュニケーションが否応なく必要で、その折衝のうちに自分の何かが変容していくことはままある。

矛盾とか惰性とか諦念とか、色々を噛み千切って無理に飲みこんで、思わず嘔吐した時の吐瀉物に過去の何かを見つけるんじゃないか。
 
ただの無駄な思考。
春だから。
十年前と違わず春に沈む私は馬鹿なんだろう。
でもそれも人間という生物だから。ってことにして本日の世迷言はおわる。

実に人間的。

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夜が終えて安心するときと、朝がきて落胆するときの違いって、心の差ってなんなんだろうね。








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どうしてイク時って、女も男もシーツを掴むんだろう(但し射精を伴う場合はのぞく)。
白々しいと思う反面、いじらしい姿と映るからまた困る。

必ず死ぬと書いて必死。
死に物狂い。
キチガイに鋏。
日本語って素敵。

私の手で、私のおかげで、そうなってるんでしょって
死ぬほど気持ちよくなれてるんでしょって。
私がこう思える時が私は心地がいい。

一緒の時間を過ごせるだけで幸せ、だけど触れたい、しかしそれを望むべくもない。
だから「いじめてください。」
と言う風な心理状況をSMと呼ぶのかどうか私は知らない。

こっちだって理由なければいじめようとも思わないもの。
ただし前述したような心理なのだとしたら、それはあえて意地悪したくなる意地が悪いちゃん。

私は私の王国の、お姫さまでいたい。のかもしれない。
今のところ、猫3匹の王国の主ではあるけれど。

私の言葉に深い意味はありません。








今日は私の愛するバンドのひとつ、たまの話からはじめるよ。

和製ビートルズとまで呼ばれた、しかし時代に飲まれて潰えてしまったといわれているバンド。
四人ともが作曲でき、歌える。そこが和製ビートルズたる所以。
またそれぞれがそれぞれに脳内メルヘンかつ詩的でおとぎ話のような音楽観。

そんな彼らの良さが凝縮されていると私が思うのが、ビートルズのカバー曲である「girl」。
各パートをそれぞれが意訳して歌っているその個性も然ることながら、最後の四人で奏でるハーモニーが最高。
やはりたまの良さとはそこにあると思っている。

そこで考えるのが、人と人とがいれば、生まれる関係性と構築されていくものとはまさにハーモニーと同じだと。
心地よいものになるかもしれないし、居心地悪い不協和音になるかもしれない。
お互いが触れあってみるまではわからない、だからこそ楽しく難しい。
にんげんっていいな。

はやSMも然りかな。
対峙する相手が変われば、こちらが同じ音を出していても反響するものは、全く異なる。
この相手とじゃなければ出来得なかったであろうハーモニーまたは化学反応が起こる事もある。

二人が出会っていなければ起こらなかったであろうそれを、触媒効果と言うらしい。

しれっと音楽関係の無い例え話にすげ替えたけれど、要は人と人との交流において、感情または心を交えないとなにも起きない、と言うこと。

待っているだけでもだめ。
欲しがり続ける。
そのさまが相手へ可愛いと映るか、嫌気と差すか、それもまたその時々で変わる。

だから、やめない。
これのみ。

では私は伊豆温泉へ行って参ります。

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春の夜の夢。

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