亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

2018年08月

川端は康成のせいで処女崇拝な思考汚染
がドイヒーな亜きらです。
皆様おはこんばんちは。

それはそうと現時点での亜きら的今年の顔と言えば、ノミネートは唯一人、気象庁のあの人。
災害続きで気象庁の記者会見が珍しくなくなっている2018年の夏、あの人はそろそろお疲れ顔で、もはや半笑いの記者会見以来心配で仕方ない今日この頃ですが。
その記者会見やニュースでも今年やたらと耳にする、
「今まで経験したことのないような○○」や「前例のないナントカ」という台詞。
あぁ、たまらん。

それを誰かに言われたい言わせたい。
つまり、初めてを奪いたい。
そうです私が童貞キラーです。て、やかましいわ。

初体験キラーなのは間違いないけど。
Akillerだけに。ふふ。

何故?って、簡単明白、あなたたちの記憶に残りたいから。
火を見るよりも明らかなこと。
忘れられない何かをそこに残したい。捨て置きたい。
自分を忘れられるより早く記憶化させたいから、なんらかの初めてを奪う。

いつでも、どうやったら私と会わなくなったときに私の存在を忘れずにいるだろう、そしてどうすれば私を思い出すだろう。
と、そんな事ばかり考えて行動してる。
あ、いつでもは嘘だった。かもな。

だって、いずれ自分は忘れちゃうから。
相手に映った自分のことなんて、相手が見ていた自分のことなんて、すぐに忘れるから。考えなくなるから。
だから覚えていてよ。

って例によって私はジャイアズムを愛するが故に。

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夜の、止まったように見える川がすき。
そして真上にある白い月がすき。見上げていられれば、ここが底だって安堵するから。
すべてなんてことない、ちっぽけなものだって思えれば、自分さえ愛しく思えるでしょう。

秋になれば私の憂鬱で倦怠な心癖は加速する、毎年ながら。もはや風物詩とお呼び。

2018.8.31 


わたしの事好きじゃないの?って、わたしの事好きじゃないからできないんじゃないの?って、そんな風な言葉でつい責めてしまう。

だって、好きな気持ちさえなければなんでもないがしろにしてしまうものでしょ。

私だって嫌いと思う人間とは楽しく満たされるプレイできないもの。

言葉は不思議、言霊、言葉に宿るなにかがあるようで、されど言葉、たかが言葉。
言葉でないところ、行間や言外で伝えられるものやそこでしか表すことができないものも、人の心にはたくさんある。かもね。

▼こないだのバルバラにて
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むっちりーに。


夜にまぎれる安息感と朝がくる安堵感。
安心感だけは人の温もりで得たいと思うこの頃。

夢でね。

自分が吐いた唾を自分で飲み込むような真似は一切したくない。
し、その様な人間を見ると、悲しくなる。
肌に違和を感じる感覚や思考や雰囲気ってあるでしょ、居心地が悪いような。
それを胸に抱くと自分を許せなくなる。

極端な例で言えば、別れた恋人の悪口を言うような事もよっぽどの行為をされたのでなければ、言いたくないし言わない。

仮に自分の行為や決断如何によって、結果として後悔することがあったとしても、自分が一度でもそう思ったのなら、受け入れる。仕方ないよなって。
その時の自分の気持ちを否定するようなことはしない、私は好きじゃない。

身の回りのことについて、起こってしまったことで仕方なくない事などないと私は思う。
事態が起きてしまう前なら、色々な対処法を案じられるけど、そうなってしまったのなら仕方ないの一言で済む。 
済むけど終わらない。 
その経験や思いをこれからその先へと繋げられれば、起こった意味さえでてくるというもの。

だって人の気持ちは変わるものだから。
むしろ万物流転の世、自分の気持ちだって変化して当然で、だから今を大切にしようって思わなきゃ勿体ないわけで。

必要以上の我慢や強がりは美談にもならない、自己犠牲はオナニーもとい自己満足ってるろうに剣心も言ってたもの。

軽くセックスアンドザシティみたいに終わった関係のことを女性だけで面白おかしく笑い合う事は、好きよ。
それと悪口はちがうのよ。
あいらぶジャイアニズムよ。


▼画像整理してたら出てきた懐かしいものたち。
ぜんぶ3年以上前かな。

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もちろん、すべて後悔してないわ。
だけれど、後悔したってしきれない物事を犯してしまったとき、それでも人は一歩進むしかない。
後戻りはできない、絶対。


なーーーんちってね。
山の日は、亜綺羅の日です。


 
水がすき。水音も肌に濡れる水の感触も水に浸かった感覚も、水の景色も水にうつる世界も水泡も水底も、「水」と口にすることばの響きと耳心地までも。
水は私を惹く。
折に触れ話す事だから聞いたことあるって人もいると思う。

いかにも水とは地球の表面積のうち70%を覆うほど、この地球上に湛えられているもの。
そして私たちヒト科のからだはおよそ半分が水。
何より生命のはじめまりは水、母なる海。
だから、望郷を遠く馳せるような心持ちで水に惹かれる私はごく自然の成り行きとも言えるでしょう。たぶんね。

胎児の頃は誰しも羊水に浸っていたという事も忘れて過ごす私達は、日常的に「時間」の次に有って当然と捉えていると言っても過言ではない「水」。
 
そんな水の怖さを、身をもって思い知らされた夏のはじまり2018。
この夏の豪雨により被災された皆様に、の心よりお見舞い申し上げます。

そう、水は怖い。
水によって鉄を切ることだってできるし、凍れば氷にだってなれるんだから。
自然の怖さ。畏れおののく、畏怖、という感情はやはりとても大事だと思う。
土着信仰系の話に繋がりそうなのでここらで打ち切るけれど、

やっぱりそれでも私は水がすき。
そんな心持ちでもって、鴨川の川縁にカップルに混じりつつ座って、水の流れる音、川音を聞きながらこのブログを書いている。

左耳にはイヤホン、私の好きな音楽。
右耳には鴨川の流れる音、私の大好きな水の音

しかも空にはまだ火星が肉眼で
見える夜。しかも月も明るくて無駄にきれい。
15年前の火星接近の時には、友人らと夜のプールに入りながら火星を眺めてました。
あの時、夜に浸かるような心持ちでプールに浮かびながら夜空を見上げ、「なんて気持ちいいんだろう」と15歳の私は思ってた、
そして15年後の今現在の自分が、こうなっちゃいましたなんて微塵も想像だにしていなかった。

しかし、15年前の亜きらよ、ここで川の迫る音と緩やかな風に吹かれる今だって、最高に気持ちいい。
なーーんつってな。
海とセックスした(感覚に陥った)事のある私でも、まだ川とは未経験。
これはもはやセックスより、脳天にせせらぐ気持ちよさ。

では、おやすみなさい。


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山、川、亜きら。


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そして、密かなフジテック。研究施設。あいらびゅ。

最近、ひとりの亜きら信者が旅立ちました。
それは晴れの門出と呼ぶに相応しいものだったので、心から喜んで見送る事ができたのです。

SMクラブにおいて、異例とも呼べる事例には変わりないけれど。
そうやって、自分のなかからSMが必要なくなったときに、わざわざその理由とともにサヨナラを示してくれるというのは私はとても嬉しい。

インターネットの普及とともに、出会いというものが容易で軽いものになりつつある今、終わりやさよならも軽いものになっていると常々感じているアラサーゆえに。
別に何かがはじまったわけでもない関係だったとしても、今までありがとうの気持ちを伝える為の「さよなら」で物語の終わりとするのは綺麗事にあらず。
と亜きらは思うわけでして。

色々な縁があって今に至る自分、何を切って何を縒り、何と紡ぐのかはこれからの自分。
あ!間違った!」からと言って軽々しく切った縁を元には戻せない無常なる世。
決して無情であるとは思いませぬ。

ただし、往々にして、不条理ではあるけれど。
不条理ではあるがゆえに私などは生きてられると感謝こそすれ、恨むことは神様への冒涜かなと。

救ってほしい、そう思う胸のなか、時には「救われた」という瞬間が人生にはあるはずで。
しかしその瞬間、救われた事は頭から消え去り、救われ終えたらまた救われたがるのが人の弱いところだな、と最近思う炎暑のみぎり。
 
少し怪談チックな暑中見舞いをお届けしますので、いざ。↓

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少しでも背筋にゾクッと来たならば幸い。

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では、また。
きょうはここまで。

静々。

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