救われたいのだ、結局のところ。
世紀末思想だとか厭世的だとかデカダンスだとかマゾヒスティックだとかパーティーピーポーとか、要は今現在の此処とは違うどこかへ思いを馳せている事に違いはないんではないかと。
半ば暴力的に思う。
通常、無常ゆえに生き物は時の流れのままに生きていれば脆くも死を遂げる。生を遂げる、ではなく、生を為して死を遂げる。
そこから逃れるためでなく、その終わりくらい自ら選択したいと望む人達がいてもおかしくないと思う。
し、そういう世の中だ実際。
メキシコでは殺人がニュースにならないように、日本ではいちいち自殺はニュースにならない。
それが頷けるのは、そこそこ生きてると誰かが自殺したって話はそう珍しくなくなってくるから。
知人が死んだと聞いた。
すぐにその人なら、自殺だろうと思って、思ったのに「なんで?」と聞き返してしまった。
恐らく確かめたかっただけで、返ってきた答えはやはり自殺。
賢い人だったから、何かを半ば諦めたように生きてた。
それが原因かはわからないけど。
あっち側でなくこっち側。
それだけ。
イルカは自殺するらしい。
それがいいか悪いかは別として、悲しい事には違いないな。
死ぬくらいなら、えすえむしてよう。