亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

2018年05月

日頃、水槽のメンテナンスをしているとふと思う事。
例えば水草の切れはしや糞の掃除。
水槽に手をいれる。
えびちゃんや魚たちからすれば、大きな物体が上から現れるわけだから、自分の世界に置き換えてみればそれは恐ろしいこと。
だって、空から大きな物体が現れると等しいわけでしょ。こわや。

また、例えば水換え。
五分の一ほどの水を抜き、同じだけの新しい水を足す。
そうする事によって、水槽の中の水質を一定にするのが目的だけれど
反対に、良くない変化を起こしてしまう場合もある。

それを自分の世界に置き換えてみれば、誰かによって世界にある物質に手を加えられるって事だから、それってつまり神に等しい。
っとふと思い当たった。
思ってそして怖くなった。

この水槽のなかの子たちにとってすれば、ここだけが世界なんだと気づくには今さらすぎる事も
私の行い如何によって左右される小さすぎる世界だっと認識する事も。

だって私は最近、おなじように水槽のなかにはいりたいなと大した意味もなく想像してみるくらいには、
この小さな世界の住民たちを愛してるのに。

そこで誰かに飼われたいとは思わない。
水槽のなかで飼育、って言葉はSM的に見ればとてもフェティッシュに感じられる。気がする。
それでも結局観賞する対象としかならずに、ごく一方向側にのみ満たされ得るエゴイズムな行為となるだろうな。

つまり観賞魚と同じ。
私がいくら愛すると称したとて、それ故にいくら愛をかけて行ったとて、
魚達には届かないし伝わらない。

そうである以上、一方的なオナニー行為でしかないと私は思う
そして悲しくなる。

私たちは、魚にはなれない。
さらに、お寿司はおいしいもの。


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自分の気持ちを相手に伝えるのが下手なMゾヒストの皆さまおはこんばんちわ。

自らを曖昧に甘やかし、自分以外の誰かに外側から律してくれる手を差しのべてほしい、そして救われたい、そんな類いのM属性を代表するY田。 
今目の前で家具になろうと踏ん張っているY田。
そもそもが自分の感情を杳として捉えられず把握できていなかったY田。

見過ごしたままでいられなかった為に、プレイ後の感想を言葉で伝えるレッスンからはじまった、感情の行方を追い求めるY田の心のスケッチの旅がありまして。  
 
今現在、初対面時と比べると心の解れ具合に成長を感じずにいられない。
素直に感心する。

手紙として綴られた文章とはまた違う、より生々しく自然的な心の侭に認められたY田の手記がここにある。
私はこれをとても興味深く、またぞくぞくしながら読んだ。楽しんだ。

それが以下。


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最後にプレイした次の日から

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▲プレイ前日の日までの日記。



夢かわいいってこういうことじゃない?

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