亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

2017年09月


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長時間プレイにて時間割りごっこ。
参考資料もそえて。(冗談
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まずはHRでこれまでの振り返りや目標なんかについて、臨床心理士ばりに聞き込みもとい話し合うところからはじまり。
朝の会とか朝礼とか、そんなようなの。懐かしい、懐かしく楽しかった。

お相手である内面に潜ませているモノが窺えるのに自分ですら杳として掴めずにいるエフ氏(星新一より)の、プレイを重ねるにつれ精神性の滲みだすように少しづつ剥がれていく殻というか鎧というか。
云わばそうヤドカリ人間。そんなヤドカリ人間が真人間の道へと辿っていくサクセストーリー。

変容していく己にびびりながらも自分が一体どうなってしまうのか「その先が知りたい!」精神旺盛のエフ氏には言ってなかったけれど、「きょうで丸裸の生エフ氏にしてやるぜ」と心の箱庭ぶっ壊すことが私のひそかな目論見だったのだ。

心の箱庭、土足で踏み込まれたくない自分だけの領域。あるでしょ?
私も猿もエフ氏も誰もみんな心の奥っかわにあるもの、だけどずっとそこにひとりぽっちでいすぎると間違いやズレが生じやすい上に気づけないという。恐ろし。

ずっと内側でしか生きないってなら問題ないんだろうけどね。
そんなことしてちゃんと、社会生活営めないもんね。

なので人と人の間で生きていくためにも、自分だけの世界と外界とがちゃんと繋がっているかとたまには確認しないとだめ。
(持論)

つまり「自己を見つめる」、などと供述しており…
なんてつい茶化したくなるこの言葉の意味が大事。

そこで私の好きな言葉に言い換えると、
内省。内で省みる。これ。
なんと日本らしく美しい言葉でしょう。

しかして内省も
過ぎればナルシストに成り果てるけれど、自分の内で深く静かに思考するイメージ。

エフ氏はと言えばまさにplayback
.
いつもの反省会よりもちょっぴり真面目に、時間割りさいごの
終わりの会にて。(終礼!)

私とのプレイを振り返り追体験していきつつ、自己の興奮ポイントや感情の振幅、心の機微を把握していくことがやんわりとした目的。


いかなる作用が働いて自分の裡に影響を及ぼしたのか、脳みそ開けたってわからないことを思考する。ひまなの。
同情、共感。否定。感情の起こりは大体これらが多い気がする。
生まれた感情の行方も私は見失いたくない。

ずっと頭回して考えてたら、ある日突然に「そういうことか!」と閃きが啓示の如し。
例えば今日理解できたことがあれば
それまで見えなかった景色が見えたり、まるで感覚がひとつ増えたようだったり。

さて?2時間目,3時間目の苦痛のじかんを乗り越えて、エフ氏は3カ月ぶりかに射精と相成りました。

そして。到達できたのかしらん。


結果として、私の目標のぶっ壊すほどまではいかなくとも天地ひっくり返すくらいにはできたかな。なーーーんちってね。









先日の、香深さまんとの3Pのこと。
知った仲であるお二人にのっかるぜ!くらいに構えてたはずやのに、ちゃっかりわくわくうふうふしちゃったこの日。

それにつけても、この上からのアングル、たまらんわーええわ、すごくええ。


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自らを俯瞰で見ることがないし、絵的にオペ風なようで、どことなく猟奇殺人が行われてるかのように見えて終えてからも楽しいプレイでした。

▼より色を怪奇っぽくして遊ぶ
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いやはやポスターにして売れちゃうなこれは!
 
そしてさらなる極めつけはこれ↓
私のおきにいり♡
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のぞいてはいけないお部屋を見てしまったみたいでしょ、ぞくぞくしながらただ食い気味で見入っていたこの時の私。

できればずっと見てたかったーー
だって、
覗き見と言えば横溝正史の蔵の中、それを思うや逸る鼓動。
蔵の中の物語が眼前の光景に重なるようで、こりゃ淫靡と言う名のロマンティックが止まらない状態。
ゆえに妄想か実際的かわからなくなる結末よろしく、曖昧なエロチックさに溺れたいっと欲を貪りたかったのでございます

…まさかそんな卑しい精神は頂けませんので、現実か夢か第三世界か定かではないそのplayへと、舞い戻って候。

さて蔵の中は、胸を病んだ青年が主人公の元へ原稿を手にやってくる場面からはじまるわけですが。
人間椅子と似ていなくもない話の展開でありながら、全くちがう。
人間椅子が狂った人間の物語とするならば、蔵の中は死にきれず幽霊へと化したものの物語、くらいの差。たぶん。

言いたいのはそこではなく、最大の違いは病みがちの青年の登場である。
天草四郎を代表に、小説あるあるですよ。
影のある少年、とかね。
乙女であれば誰しも抱いたことのある云わば幻想の存在。 

今となっては実際問題、病んでガリガリの骨々おじさんか、病んで多脂肪気味の無駄に色白おじさんしか知らないし彼らをひたすらかわいがる日々。(ちょっと嘘)
私が出会す類いの病んだ中高年の話で今日は、終ワリ。
 

▼気分転換に、
さらに遊郭色町風な色合いにして楽しむ
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おきゃん♥なレターセットをどうしても使いたくてこうなりました。

06

なんだろう?
昨夜かその前の夜または前々の夜頃。からとたんに、ぐっと冷えるようになって秋の向こう側の冬にまで思い馳せちゃったのかな。
中島みゆきと井上陽水が聴きたくなったものの少ししんどくなって、たま。さよなら人類のね。
たまについて語るにはまだ早すぎるので、とりあえず無性に暗い音楽聞きたがっとると言いたくて、
つまりそういうしっとりした秋の気配に感情を寄せて行ってるのでは?
なーーーんちってね。。

言っても小1の時の好きな歌は「コンドルは飛んでいく」だったし、いたって通常運転。

秋と言えば、いいいちご。1115、わたくし亜きらの誕生した日ですなの。
いいイチゴの日ってことで11月15日♥

初体験。無条件にエロチックな響きをもつ言葉。でしょ? 

いちどそれを経験すると、再びあの衝撃を味わいたい、もしくはあれ以上のナニカがあるかもしれない、と誰しも「初めて(やその頃)」とおなじ衝撃を追い求め続けるふしぎ病みつきの感覚。

ところが耐性ってやつは恐ろしなるかな、初めてと同じままでは衝撃を弱く感じるものなので、必然的に「はじめてを超える」衝撃を追い求め続けなければならず。
そしてそれはそう容易に非ず。もちのろん。
しかしそれでも忘れられないモノ。あの感覚。あの興奮。
あぁあれを思い出すだけでもううずうずする、そんなヒトなんて腐るほどいるでしょう。

一度知ってしまったら
どんな体験であれ感覚であれ、知らなかった頃には戻られないもの。

記憶のなかから流れでてしまったならどうしようもないけれど。
そう記憶。
私が、「こんなの初めて。」なんて清楚系ビッチが演技がましく言いそうな臭い言葉を良しとするのは、より記憶に残りやすいと思うから。

昔から、私と会わなくなったあとを想定して
「どうしたらこの人の記憶に残れるか」とばかり考えていて気づいたこと。

印象的な記憶ほど消えず残りやすく、初めての体験とはそれそのままだってこと。

と、ここまで下書きしていたところで本日の集団調教にてあの台詞を口にしていた人がいたのでした。
タイムリーすぎて口笛ふきかけたのはないしょ。


今日は別にして、
「こんなの初めてでした。」と上気した顔で興奮over気味に報告するパターンと、うわ言のように「初めてで…」と繰り返すぼんやりパターンとが多い気がするな。たぶんな。

初々しさにこちらが満たされるわけでは決してないので、間違っても処女童貞ぶったり純潔を履き違えたりせぬやうに。

そりゃあ、
「こんなのはじめて。」
なんて目をうるうるさせながら、あるいは乱反射のごとくきらきらと瞳輝かせながら綾瀬はるかが言ったのなら、私はもう純潔最高!と手を叩いて喜ぶわ。
そして無言で処女厨になるわ。

この手で私の好きなようにしたい、と望まなくともそう歩んでいる姿を見ていると心のはじっこらへんで、恐ろしさと切なさと心強さを覚えるよ。

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▼これは私のすきな詩から
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9月も半ば、すっかり秋めいた夜風が心地よいですね。
さて秋深まると私がなにかにつけて情緒を揺さぶりだしますが、
例年どおりセンシティブさに磨きのかかるきせつとなりそうです。





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「あれ?なにかいい匂いがしますわ」
同じかおしてるようで芥はわかってません

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どこだろう?なんだろう?

おかしいな~、
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まさか…

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「貴様だったのかよ!」


↑てな具合にいつもアテレコして遊んでいるわけですが、当たらずとも遠からずと自負っております。
 

▼みーさま。  
おでぶロリ系 
母子感染による猫エイズキャリアと判明し、激甘SweetSばりに溺愛したかいあって性格はまるで世紀末の女王。
私以外誰にもなつかない。ふふ。

▲芥
ゲイ疑惑のある玉無し。この世に生まれて2年足らず。おバカ。
宅配のお兄さんに寄っていきがち。
芥川龍之介から拝借した「芥」とはゴミを意味し、ごみくずでも一生懸命生きてるよって思いを込めてつけられた素晴らしい名。

何が言いたいかというと、、
ねこどもがかわいすぎるやろ?そうやろ? 


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私の日頃生活している大阪の、日本橋finに在籍している琥珀女王さまは美しいお姉様であり、お友だち。 
知り合ってから短くはないと私は思っているけれど、これ幸いなりと嬉しい限り。

さて、とある私の元にやってくるおバカなN死、じゃなかったN氏の話をしましょう。

まだ20代にしてすでにノーマルなセックスなんてできないと言いながら、AFもろくに感じられないでいるような、そして何ができるわけでもないけれどストレッチだけはうまいN氏。むしろN村。

そんな彼が、偶然にも冒頭でお話した琥珀様の元へも馳せ参じているとわかったのはここ最近。

琥珀様と間接キスに似た心地で嬉し恥ずかしい一方、N村とは贅沢な輩だと今まで以上に意地悪心が芽生えてニヤニヤ。2828

なんだかエア3P。
ゆえにいつか三人でプレイできたらどうなるのか、楽しいしかないだろうなーーーと脈絡なく考える私の脳内わーるど。
そして浮かび上がってきた独断と偏見まみれの妄想。

→→私と琥珀様の二人で、「メロンパン買ってこいや」なんて言いながらN氏をパシリにパシらせるという中高生ヤンキーごっこ。(名称仮)
スケバンの格好とかしてみたいんだもの。琥珀さまが完全に似合う姿が用意に想像できて胸きゅん。

校内いじめと言えば、
きゃっきゃと馬鹿にしながら学ランのズボンずらさせたり、性器を蹴ったりと無駄な下ネタいじめは後年、当人の性癖となって現れることが少なくないです。

トラウマから逃れるために、それが快感だっと脳に誤認させるってのは分かりやすい精神作用だなと思う反面、
にんげんはほんとに弱くて図太い生き物だと関心する。自嘲の意味も込めて。


小学5年生でした。
男子と殴り合いの喧嘩をするのはもう無理だ、と力差に敗けを認めざるを得なかったのは。



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