亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。

何を聴いても悲しくなって泣いてしまい
何を書こうと思っても、暗く悲しいものばかりになってしまって何も書けなかったんだけど
落ち着いた今ちょっぴり振り返る。

事の発端は単なる生理のホルモンバランスのなんたらってやつ。
そこから沼にずぶずぶ飲み込まれるように「悲しい」の三文字がどんどん作用してっちゃった。

先日、母親の三回忌だった。
私はその集まりに行かなかった。
と言ってもうちは典型的な、家庭環境悪い系家庭だったので母親が死んだときも
「自分のお母さんが死んだ悲しみ」ではなく
「母親という絶対的な存在を失った寂しさ」が大きかった。

ゆえに私は三回忌の集まりに行かなかったわけで。
ただ、死んでからも我が子にこんな扱いを受けるなんて、幸せな人生だったのかなあ…と客観的にその人の人生を考えはじめたら悲しくて悲しくてしょうがなくて。

悲しみの沼から這い出た今は、そんなの考えたって仕方ないと思えるんだけど
その時は泣き濡れるばかり。

嗚咽するほど泣いてると、うちの小僧猫がね
すごい勢いでぽんぽんぽんと肉球で私の胸を打つんですよ。
そして頬っぺをぺろぺろぺろりーぬと。
それが滅茶苦茶心地よくて。泣いてちゃだめだって思った。
その後いつもつけっぱの映画チャンネルでたまたま流れてた有頂天ホテルって映画を見てるうち、だんだん元気になっていきましたとさ。

普段なら絶対見ない類いの映画だから不思議。

虫の知らせ、の話もあるけどこれは本気で暗くなる話だから今はよしておこうね。

感情の吐露は、性欲の発散と同じくらいに快楽を得れると私は思ってる。

おしまい

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"偏る"と"遍く"、反対を表す二つの言葉なのに字が似通いすぎてることにプチ衝撃。
なんか気になってつい調べたら、[遍在と偏在] なる言葉を見つけて、わーー面白い!と気分わくわく上々しちゃって。興味ひくままにGoogle🔄ぐるぐる。
と、寄り道したせいで偏愛性について語ろうと思ってたことがまるっとぶっ飛んでっちゃったし、脈絡なく綴ってっちゃうわHoney, 性的に。

鞭棄やA波Rのような、怪我して包帯巻いた女の子の姿にときめいたり、
(私のなかで包帯と言えば志々雄真実と躯の二人。えへ)
傷痕に舌で触れたりって経験、一度や二度はあると思うなの。たぶん。

それと、小学生時代なんかに松葉杖や眼帯するってなると皆テンション上がってたこととか覚えていはるかしら。
云わば非日常感と特別感。

ふんわりとそんなような感じの四肢欠損のお話。

小指や腕や眼球や、身体のどこか欠けてしまった姿に心惹かれてならない。
なかでも足。二本の足じゃなくていい。
義足を外すと露になる、肉の柔らかいぐにゅっとした皮膚のところを愛でていたいずっと愛でていられたら幸せ。

かと言ってそれだけが欲しいわけではないから、憧れに近いのかな。
うーーーーん、
ただ目にして骨からぞくっと震えて、触れたら
心臓がとっきんときん鳴いて呼吸も浅くなって息苦しいし胸痛いほどなのに欲しくなっちゃうあれ、恋煩いに似ているかもしれない。

跛ひいて歩く姿や傴僂のせなか、あっちゃこっちゃ向いたぐちゃちゃの手指とかもすき。
胸がきゅんとして、そそられる。
片端フェチと言われたりもするけど、私自身心が不具だから問題なし。

ちっちゃい時には火の鳥鳳凰編に登場する、腕のない我王が大好きだった。
終盤の、心入れ替えたのに一本残った腕さえ落とされてしまうシーンがたまらなく好き。


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小学校卒業するくらいまでアトピーがひどかった私は、皮膚に触らないためと母親に両腕包帯ぐるぐるにされて通学していて。今ならこれがフェティッシュとの出会いだって笑えるけれど、
当時は自分だけ宇宙人みたいだって思ってた。

その時の精神が私の偏愛になにか影響しているかもしれないし、していないかもしれない。ふふ。


溺愛か渇愛か。
性的嗜好やフェチの対象が例え同じだとしても、愛着の仕方はさまざま。

私は溺愛されるより渇愛されたいし、ずっと欲しがっていたいかなー、今の気分で言ってるだけだから明日は知らにゃい


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おまけ。私の最愛なる本。と、その娘みたいな小説。











いつも写真撮るの忘れるなか、
洒落乙な内装に気分上がってちゃんと写真撮ったはずなのに全部ブレテイタ。


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ブレタ事によって誰か画家の描いた絵画のようだったのを、ちょっぴり加工して全く何かわからないものへと仕上がりました。ちーーーん。(-人-)
南無

えっと赤い椅子ごと縛って人間椅子ごっこ。
到達しないように。まだまだこの先も。   

だって私に会いにきましたって言うから、会った時点で目的果たされてるんだもの。

欲望丸出し情動垂れ流しのあれも嫌いじゃない。私も恐らくそちら側。
だけどここまでよちよちと、欲しがる姿のいじらしさ。子宮が心臓になって脈動しちゃうな。


ブレタ画像の代わり
振り向き亜きらと、
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上から亜きら。

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顔面の具合が疲れてるのは気のせい。


だって
このとき、雪の降る夜空に月がいるのを見つけてメルヘンるんるん。絵本みたいな世界をいまでもDesire。
いつでも脳内お花畑なのにな。
 

たのしい方向音痴からぼくらさびしい迷子になろうよ







或る詰らない何かの言葉が、時としては毛蟲のやうに、腦裏の中に意地わるくこびりついて、それの意味が見出される迄、執念深く苦しめるものである。或る日の午後、私は町を歩きながら、ふと「鐵筋コンクリート」といふ言葉を口に浮べた。何故にそんな言葉が、私の心に浮んだのか、まるで理由がわからなかつた。



萩原の朔ちゃんの作品ですが、最近これと似た状態に。
少し前から
脳内でやたらとエゴンシーレの単語が思い浮んで、なんの思い入れも用事もないから考えなくなるでしょ、
そしたらしばらくしてまたはじまるエゴンシーレ。
こっちの意識せずともエゴンシーレが勝手に脳内で渦巻く繰り返し。エゴンシーレループ。

嫌いまで言わないけどエゴンシーレの絵を好きと思ったことなかったのに、エゴンシーレに頭支配されたせいでついGoogle先生で調べたりして、劇的な生涯にそそられて絵にも興味もわいたり。

小説でも音楽でも絵画でも、作りだした人のバックグラウンドを作品に見ようとしちゃう
もちろん、そんなの知らないでも素晴らしいものは素晴らしい。素人だけど。えへ
それに生い立ちが作品に影響するのか確かなことはなんにも知らない、ただ私はそれありきで楽しむ。と言ったら語弊が生じるけど、作家や画家に自殺が多いこととかそういうのもぜんぶひっくるめて思いを馳せたいのかもしれない。
空想大好きっこだもの。

昔、芥川の河童を読んだときに自殺した作家年表を作ったのがきっかけであろうかな。所謂中二の病。
あれに登場する作家ほぼ自殺か晩年発狂してるとわかって、そらあっくんも死ぬわと。
(これは内緒の話。割と最近もPCとインターネットという文明の力で、画家の年表は作りあげたものの作家はそのあまりの自殺者の多さに心折れました。)

sorry話それてしまってエゴンシーレでした。
なにゆえエゴンシーレループぞ、と思ってたらエゴンシーレの映画するようで。
それも今月末から公開とな。
ぴこーーん!と天命をうけたような顕示、我ながら素敵。
これは見に行くしかないでせう。





リカちゃん人形の髪の毛を切ったり体中に落書きしたり、母親に怒られては繰り返してた子どもの頃とおなじ。
私がしたいと思ったことを私の好きなようにして遊んでたい。

大事にできないことを叱られてたけどリカちゃんのこと、嫌いなんかじゃなかったのに。



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ふごふごするさま。不思議と笑ったまま。ふふ。



したかったことを達成した途端、「いらない。」ってなってすぐさま心底ぽあしたくなる事、たまーーにある。
誰しも陥ったことのある利己的かつ普遍的な、芥川の芋粥のようなあの心理のふしぎ。


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