亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。


桜がはやくも葉桜へと景色を変えましたね。
そんな春の日に読みましたエルンストの百頭女、超超脳内ドレッシング。
詩というのか、全く地球外生命体のように理解できないものもあれば、なんとなく心にぐっとくるものもあったり不思議で何度も読み返しちった。

そして後に残るは「惑乱、私の妹、百頭女。」って何度も繰り返される言葉とそれを口に出してみる私。

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なーーんか読書が趣味と言うと高尚に聞こえる謎謎謎。
表現や言葉の美しい小説や詩が好きだけど、ミステリーでもホラーでも絵本でも辞書でも何でもぺろっとしちゃいたいただの本の虫。

人に教えてもらった本は、自分では選ばないであろうものが多いので必ず読む派であります。
ゆえに何かこれぞって本があれば教えてくださいまし。


もうお昼間の太陽が本気出してきてる気がするはやいよ。
春の憂鬱な夜も煩わしいけど、これから暑くなるあの季節はスーパーミラクル苦手。
溶けるもの。精神まで。 


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まさにこんな感じ。
浴衣や花火やって楽しい想像しなくっちゃあね。。

いつも忘れがちなプレイ写真、近頃とくに撮り忘れること脳足りんの如し。
ゆえにブログも書けず…なんて逃げ口上はいけません。めっ

次の画像でお許し頂戴なの。

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↑こうして画像で遊びたいが為にも写真残せるおまえ様、声をかけてくださいますよう。

それはさておき。
(冬の夜空の次かその次くらいに)この季節、見上げた月が朧気に浮かぶ様もまた美しや。春の夜、如何様にお過ごしでしょうか。性的に。

桜や木芽時といえば倒錯的なイメージがあるけれど
新年度の春、と思えば気を新たに引き締めたくなる不思議。
と、いうわけで。(なんか聞き覚えあるふしぎ)
この4月はこっそりと、できるだけねんね子をあやすようにいけずしない精神でサービス強化月間と己に課しております亜きらでした。






久しぶりの詩集に、愛をこめて。


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かの近代詩の父と呼ばれたお方の詩集から。
下水のなかのまた溝、ってどこなんだろうね?ふふ。



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『おれたちはみんな多少は気違い』
んむ。もはや2828しちゃう、
何を伝えたいのか分かりそうで分からない、多少気違いな頭はやはりおかしくってだいすき。

アートポスターが欲しくて海外サイトを見てると、あまりに中二病質な翻訳に思わず2828したやつ。↓

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「悪の天空の罰の撲滅の神」とな。
どの画家の絵をそんな呼ばわりしてるのか知りたくて画像拡大

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なんと日本絵。
どこかで目にしたような巻物か掛け軸だろうけど、
やっぱり゛悪の天空の罰の撲滅の神゛なんて翻訳されてしまう絵の内容が気になって気になって仕方なくなったので調べました。
いつもの事ながら
なぜだろう?なぜかしら?が消えるまで調べないとイヤ。
気がすまない。
それに、
知っていくわくわくともっと先を知りたいそわそわが楽しいなの。
知的好奇心とはまことに際限がないじゃて。

そして調べたところ、疫病の神である牛頭天王でいらっっしゃるとわかりまして。
ほんまに神仏習合やら八百万やらなんにでも神様いすぎてずるい。

疫病の神であるこのお方、やたら強そうな名の牛頭天王の姿をもう一度ご覧あれ。

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丸してあるのが牛頭天王そのお方にございます。
面白いよね。
神なんて呼んでおいてやっつけてるんだもんね。
なぜ、と思ったなら続きはGoogle先生へ。



蝶について話したかったのだけどもうだめぽ。ねみゅい。

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とりあえずちょうちょが苦手、上の画像ですら少し虫唾が。



三月。春ですね。

 春はなんか憂鬱で、繭のなかにいるような倦怠。

憂鬱とまで言わなくとも、こんな印象を受けたことはあると思うの。

以下引用ですわ。

春の幻
春を想うと、ただもやもやっとした世界の幻が浮んでくる。それは日向に蹲ってる猫で象徴される。日向の猫の眼が、細い瞳をぼんやり開きかけては、またうっとりと閉じていくように、春の息吹きは、あらゆるものの眼を閉じさせる。冷い空気と暖い空気とがもつれ合って、なま温い靄を蒸発させ、光と影とが入乱れて、茫とした反映のうちに融け込み、物の輪郭がくずれて、太い柔い曲線にぼかされ、あらゆるものの露わな面が――その奥から覗く神秘な眼が、宛も息を吐きかけられた硝子のように、ぼーっと曇っている。何一つはっきりしたものはない。凡てがぼやけている。うとうととなごやかに仮睡している。


ね。

この時期とこの先、冬枯れから春の芽吹きへと景色を変えるため、木々や植物たち自然がぐんぐん成長していくあの生命エネルギーに圧倒されてしまう。萌芽、はじまりのとき、木の芽時。

その生命力に精気吸いとられるへなちょこにんげん。


春の息吹そのものは自然伝える地球の胎動みたいで嫌いじゃない。むしろ素晴らしいと思うし、つねに自然に勝てるわけがないと思い知らされてたい。


夏の暴力的な夕立ちと隠れもせぬ暴力性とか、自然界の力強さをありありと目にしたときの興奮といったらもう、ヴァイオレンス。じゃなくてプライスレス


雷鳴、雨音、心地良い静かなるうねりも束の間。聴官切り裂き臓腑を抉りつけるような狂暴音響かせながら、激動の雷雨が世界を揺るがせる。

叩き打つ雨と鳴り止まぬ落雷が気違い沙汰に音を争せ、その様はまるで銃撃戦に居合せたようで。

銃弾から逃れて怯える身さながらに、葉陰に蹲ったまま。

自然の内なる脅威に心震わせ感動していたのでした。

自然さまへの畏怖だね。ifかもだけどね。

にんげんは、負ける。

にょきにょき生える緑とかのパワーに。

って昔先生が言ってた。

 

そんなのただの御託で、ただただ白っぽくぼけた春の雰囲気が憂鬱を圧しつけてくる気がするんですもの。

それに日が短くなって夕方が長くなると、夕焼け小焼けのまちぼうけが長く感じられるじゃない。

 

そんなあまりに恐ろしく憂鬱なる春の感覚について、色彩と光溢れる春は季節が自分と同調してくれないから、浮彫になった自分の感情と外の世界との差に悲しくなるんだとかなんとか、って

「ベロニカは死ぬことにした」でパウロがおっしゃってました。

今手元にベロニカがないから、確かな引用じゃないけどこんな感じだったはず。

自分の心とよく似た様子の薄暗い冬には気にならないという。

 

んんーーーー、書いたものの今の自分にはしっくりこなかった。

読んだ当時はぴったりと寄り添ってくれるような言葉に思ったのに。

 

今年は、なんとなくわくわくそわそわするようで、なんだか楽しく過ごせそうな期待が芽生えてた。

こたつ、いつ仕舞おうかな。

去年は五月までいたよこたつさん。

 

全然春とは関係ないけど、憂鬱なもの置き捨てておきますえ。



国立国会図書館デジタルコレクション - 慰めの国 - 詩集

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