亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。


体のどこかが欠損している、または著しく残った傷の痕が好きだ。

昔から。
以前にも書いた記憶があるけれど、はじまりは火の鳥鳳凰編の我王である。
片腕しかない我王が、物語の末に、残された片腕までも切り落とされるあの場面がたまらん。息も荒げる。
目玉から脳天へ突き抜ける衝撃と快感。

しかし初めて実在的な存在として、その対象を認めたのは中学一年の時。
陸上部の市大会か何かで、短距離選手だった私が目を奪われたのは長距離レースが開始される直前。
左手首から先のない選手だった。
白い肌に映える黒のユニフォームをとてもよく覚えている。

正直のところ相貌は失念しているけれど凛とした立ち姿で、無い手首の先を目にした瞬間、見てはいけないものを見てしまった気がして小さな、しかし確かな興奮を覚えていた。

懐かしい。
ひどく懐かしすぎる。

目で追いかけながら、どこの誰なんだろうなんてひとつも思考に浮かばなかった。
ただずっと視界の向こうで、走る姿を眺めていたかった。

彼女を目にしたのはその一度だけ。
あれ以来、何かと私の好む人達に出会ってきた人生だと思う。

小指のない人、びっこを引く人、義眼の人、義足の人、腕がない人、事故で腹の脂肪の削げた人。

欠損部位に舌を這わせたり、義眼のはずしたガランドウに指を挿したり、肉の削げた痕を指でなぞったり。

背徳感に似たあの淫靡は一体なんなのか。

 さらに私の、背筋ぞくぞくさせるに至る話をまたひとつ。

義足をはずした人達が義足をはずした為に、ぴょんぴょん片足ではねたり、匍匐していたり、いざり歩く姿というのは、背骨から子宮へ何かが伝い落ちては這い上がっていく。

あぁ。絶対に私のものにならないで。
そう切に願うほどの恍惚。
この意味わかる?

きっと伝わらない。
ゆえに今は割愛する。

記憶の片隅の話。

今にも繋がる話。

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幼少期の大火傷でひきつれた皮膚、まるでスモークハムの様相。
触れたらつるんつるんとセルロイドのよう、偽物みたいなその肌が、今とても気にいっている。





呼び合っているな、と感じる時がある。
呼応している。
そういう感覚が、好きだ。

 私は水を途方もなく愛しているし、その理由を幾つか並べ立てる事もできるがそもそも、水から愛されることが無いからこそ愛しているのかも知れない。

水のなかにいる。
冷たい、胸に滲みる冷たさ。
目を閉じて想像する。

自分のなかがすべて水で浸されているようなイメージではなく、自分のなかを水が流れ過ぎていく。
このような想像に近頃変容した。

川の流れが自分を通過するように、透っていく。
これが心地がいい。














自分の意思を持つ意味あるか?
鬱陶しい。
すべてゆだねろ。
 
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新年明けましてオメデトヲゴザイマス。
2020年、令和二年も亜きらをどうぞよろしくお願い相申し上げます。

して、この時に一年の抱負を掲げる人は多いでしょうけれど。

辞めたいのに続けてしまう事と、
続けたいのに辞めてしまう事の違いとは一体なんなのか。

辞め続ける、行い続ける、そのどちらものエネルギーはきっと同じものなんでしょう。 

何かを我慢し続けながら生きるのは、本に辛いことにあります。
実に、骨身を削る思い。
苦しみ痛む精神をもってしてまで、人間らしく生きる意味が今でもたまに解らなくなりますね。

私なんぞの魂では。まだまだ。
煩悩即菩薩。
善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。

しかして、
天網恢恢疎にして漏らさず。

正しく生きられたらいいのにな。

自分の感情をすべて抑制して、他者の為に生きるなど私は決して望まない。
自分の直感と感情の流れを滞らせたくない。

誰かの流れと交錯したり搦められたり、迸ったりそんなのでいいやって思う。

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▲2019年のほんの記録。



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これからが真冬のはじまりよ。


三人ほどのプレイを一言で振り返る。


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ふしだらな体型ってみだりにエロチックよね。


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光るアナルのむこう。


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彼は言った。
数回目のプレイにて、やっと初めてちんこに触れてもらえたと。
ちなみに射精は未だいたしておりません。


色々な人間がいる。
色々なBDSMが存在する。
同じものはありません。

私はいつもここにいますけれど。
それだけ。

その時したい事をするだけ。





大人になるのが怖かった。
自立した人間として一人で生きていかねばならぬ、その責任感の重圧に自分が耐えられる想像が全くできなかった。

7才頃にはそれを強く感じてた。
幼かった私は、さらに死ぬ事を死ぬほど恐れていた。
タナトフォビアと言っても過言ではなかった。
大人になるということは死に近づくと等しい、ゆえに大人になる恐怖を強く抱いていた。

夜の眠る前、布団のなかで死を想像しては真っ黒な色に包まれて泣いていた。

夜と死の印象に接点を見いだしていたのだと思う。
ほんとうに変な子どもだった。

その私が今こうしてSMを生業として生きているのは、自然の摂理であると深く思う。
むしろ感謝の念である。
世界へ。世界のSMを愛するすべての人々へ。
そして私を欲するあなた達へ。 


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一年の終わりが迫って思う世迷い言。







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