亜きら - 抒情の部屋 -

初めまして。 京都SMクラブ傀儡堂、京都バルバラに所属している亜きらと申します。 素敵な時間と世界を共有しましょう。


春は朧月のはずなのに。
朧は春の季語のはずなのに。
やたらと月があかるくて鬱陶しい。
何度も話してるけれど、私は童話のようにか細く白い三日月か、てっぺんに小さくある月しか許せない。愛せない。
見上げた時に遠く真上にある月には、ここは底だっと思えて安心できるから。
自分が取るに足らん存在なんだと体感できる時なんて少ないから、今の世には。
いや今じゃない世を知らんけど。

承認欲求の主観だらけがぷわぷわ浮いてる、そんな風。
もちろん私だってそう。
ただ目の前の事だけに、自分だけの内側の世界でだけで生きていたかったけれど、社会的な生物である人間として生活していくということは。
他者との協調とコミュニケーションが否応なく必要で、その折衝のうちに自分の何かが変容していくことはままある。

矛盾とか惰性とか諦念とか、色々を噛み千切って無理に飲みこんで、思わず嘔吐した時の吐瀉物に過去の何かを見つけるんじゃないか。
 
ただの無駄な思考。
春だから。
十年前と違わず春に沈む私は馬鹿なんだろう。
でもそれも人間という生物だから。ってことにして本日の世迷言はおわる。

実に人間的。

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夜が終えて安心するときと、朝がきて落胆するときの違いって、心の差ってなんなんだろうね。








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どうしてイク時って、女も男もシーツを掴むんだろう(但し射精を伴う場合はのぞく)。
白々しいと思う反面、いじらしい姿と映るからまた困る。

必ず死ぬと書いて必死。
死に物狂い。
キチガイに鋏。
日本語って素敵。

私の手で、私のおかげで、そうなってるんでしょって
死ぬほど気持ちよくなれてるんでしょって。
私がこう思える時が私は心地がいい。

一緒の時間を過ごせるだけで幸せ、だけど触れたい、しかしそれを望むべくもない。
だから「いじめてください。」
と言う風な心理状況をSMと呼ぶのかどうか私は知らない。

こっちだって理由なければいじめようとも思わないもの。
ただし前述したような心理なのだとしたら、それはあえて意地悪したくなる意地が悪いちゃん。

私は私の王国の、お姫さまでいたい。のかもしれない。
今のところ、猫3匹の王国の主ではあるけれど。

私の言葉に深い意味はありません。








今日は私の愛するバンドのひとつ、たまの話からはじめるよ。

和製ビートルズとまで呼ばれた、しかし時代に飲まれて潰えてしまったといわれているバンド。
四人ともが作曲でき、歌える。そこが和製ビートルズたる所以。
またそれぞれがそれぞれに脳内メルヘンかつ詩的でおとぎ話のような音楽観。

そんな彼らの良さが凝縮されていると私が思うのが、ビートルズのカバー曲である「girl」。
各パートをそれぞれが意訳して歌っているその個性も然ることながら、最後の四人で奏でるハーモニーが最高。
やはりたまの良さとはそこにあると思っている。

そこで考えるのが、人と人とがいれば、生まれる関係性と構築されていくものとはまさにハーモニーと同じだと。
心地よいものになるかもしれないし、居心地悪い不協和音になるかもしれない。
お互いが触れあってみるまではわからない、だからこそ楽しく難しい。
にんげんっていいな。

はやSMも然りかな。
対峙する相手が変われば、こちらが同じ音を出していても反響するものは、全く異なる。
この相手とじゃなければ出来得なかったであろうハーモニーまたは化学反応が起こる事もある。

二人が出会っていなければ起こらなかったであろうそれを、触媒効果と言うらしい。

しれっと音楽関係の無い例え話にすげ替えたけれど、要は人と人との交流において、感情または心を交えないとなにも起きない、と言うこと。

待っているだけでもだめ。
欲しがり続ける。
そのさまが相手へ可愛いと映るか、嫌気と差すか、それもまたその時々で変わる。

だから、やめない。
これのみ。

では私は伊豆温泉へ行って参ります。

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春の夜の夢。

いつかに私は海とセックスしたことがあるとブログに綴った。
それは紛れもない現実の出来事。

そして何度も水が好きだと語っている。
あの音、透明性、形のない感触。

どんな形にもなれるのに触れると感触のない、まさに掴みどころのない存在に神秘性を感じるし、またそういう人間でありたいと思う。

ところで最近、京都へ九月の末に引っ越してきてからこっち、自宅から徒歩数分の距離に銭湯があることから足繁く通っている。

電気風呂で血の流れを良好にし、サウナで代謝を促し、拡がった血管を一気に収縮させるために水風呂に浸る。

その水風呂が、私の脳内をも気持ちよくさせるのだ。どこまでも。

まず水が火照った身体を迎え入れる、冷たさが身体を覆っていく。
ある程度の時間が経過すると、肺のあたりがひゅーーっと冷たくなるのを覚える。
まるで吸う息も吐く息も水の冷たさと同じ感覚になる。
そうなってくると自分が水のなかに在ることがわからなくなってくる、しかし少し身体を動かせば、肌が水に触れていることを思い出す。

浴場の天井高くのぼる湯気を見つめながら、ろ過し続ける水の流れる音を遠く聞く。
頭の後ろっ側で、澄んだ水の流れる光景がずっと続くイメージが消えずに、水と一体化していく感覚になってきて、あぁワタシの脳内が快感にうち震えている。

と、覚ったは数日前。
水で脳内射精余裕です。

自分の頭のなかだけで、はじまり終えるひとつのオナニーって最高でしょ。

ある意味到達し続けるしかないから。

ね、わかるでしょ?

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水。水、水。水曜日。水星。

先日、母の命日だった。
命日。命の終わる日?
死んだ日と生まれた日と。
よく、
川端康成(1899年(明治32年)6月14日 1972年(昭和47年))
という表記があるけれど、私はこのはじまりと終わりの明確な表現が大好きだ。

これぞ人々の生きた証だ、と。

いつもの通り道。
ふと一角が解体工事の行われている風景など、誰しも目にしたことがあるだろう。
その時、「はて。一体ここには何が建っていたかしら?」
と、考えたことは?
某かの建物ないしは店舗があったことは記憶にあるはずなのに、ぼんやりとさえもフォルムさえもそこに「何が」建っていたのか思い出せない。

そんな人生の終え方を私はしたくない。

永遠に覚えていてほしい、なんて烏滸がましい事は望まない。
「あんなこんな風な建物、あったよね。」
と話してもらえる程度でいい。

ただ忘れられたくない。
母の月命日はいつも忘れるけど。
命日だけはお線香あげる。
そして生まれた日である誕生日は、好物だった桜餅を私が食べる。

思い出すことは忘れないことだと思うから。

いつか死んじゃうから。
私の好きなもの、覚えていてね。


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△私の右足のタトゥー。この海月ちゃんの上に、ひっそりと私だけがわかるように母の命日を彫ってる。内緒。


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インフル復活、明日の22日からです

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